2019年08月18日

PICKUP NEWS

(声)首相の式典あいさつ、深く失望(2019/8/18朝日新聞) 無職 大窪正宏(神奈川県 74)
 原爆投下から74年。松井一実広島市長は6日、平和記念式典の「平和宣言」で「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい」と言及した。9日は長崎市の田上富久市長が今年も核兵器禁止条約への参加を政府に訴えた。

 だが安倍晋三首相はあいさつで条約について触れなかった。これが、唯一の戦争被爆国である日本の首相の態度かと思うと実に寂しい。昨年は「若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取り組みをしっかりと推し進めてまいります」とあいさつしたが、具体的な成果がさっぱり見えてこない。

 日本政府は核のない世界実現に向けた努力をたゆまず続けてきたのか。今年語った「被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります」をどのようにして進めていくのか、首相の口から聞きたかった。

 来年は被爆75年。「核兵器のない世界の実現」と真に願うのなら、核保有国首脳の出席を得て広島で核兵器廃絶サミットを開催するくらいの姿勢を見せていただきたい。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14143454.html?ref=pcviewpage



(声)「愛の生産性」を高めればいい(2019/8/17朝日新聞) 主婦 藤田有子(福岡県 49)
 先日ある研修会に参加した。性的少数者が暮らしやすい地域社会の実現に向けてのものだ。そこで、自らの性のあり方を他者に伝える「カミングアウト」の困難さを初めて知った。それが大変な勇気を必要とすることも知った。

 それまでは私は「自分は差別しない」と思い込み、LGBTの人たちの側に立っているつもりでいた。実は何も知らないという現実、それも差別の一つではないかと思った。「自身の性のあり方」を探し悩みを抱えている人たちに寄り添いたいと思う。

 同性同士では「生産性がない」という発言が一時話題になった。確かに出生率は高まらないだろうが、「愛の生産性は高まる。愛をたくさん生産している」と、みんなが意識を変えてほしい。多様な性が認められ、やさしい「グラデーション」が描けるといいなと思う。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14142168.html?ref=pcviewpage



(声)タイ、家族の営み続く療養所(2019/8/17朝日新聞) 主婦 松本知恵子(大阪府 60)
 3年前、娘がタイのハンセン病療養所での支援活動に参加し、ハンセン病回復者(元患者)やその家族と交流した。娘は日本国内数カ所の療養所でも活動し、私も一度だけ療養所を見学した。

 娘の話では、タイではハンセン病回復者とその家族が共に村で暮らし、子どもが元気に走り回っていたという。家族の営みがあり、命が途切れずに続いている。日本では親子が引き離され、強制的に親になることを奪われた回復者がいた。幼い子どもがいない静かな日本の療養所とのあまりの違いに、娘はショックを受けたという。私も同じ思いだ。

 高校時代の同和教育の授業で、「何も知らんかったら差別することは無いんやから、同和教育は必要ない」と級友が言っていた。その意見に私も同意していたことを覚えている。でも、今はっきりと言える。真実を知ることにより、そのことに絶えず心を寄せて、関心を持ち続けることはできる。何もできないかもしれないが、知ることが始まりなのだ。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14142165.html?ref=pcviewpage



「個別指導」指摘後も継続 都の一時保護所、罰は否定(2019/8/17東京新聞)
 東京都の一時保護所が、保護した子どもに「個別指導」という名目で罰を与えていると都の第三者委員が批判し、改善を求めていた問題で、都家庭支援課は「罰として行っていた事実はない」と批判を否定した。本紙の取材に対し、子ども二人が「罰としての個別指導があった」と明かしたが、同課は子どもへの聞き取りをしておらず、「個別指導」を続ける方針という。
 都の一時保護所は、規則を破った子らに対し、廊下のついたて内で寝起きさせたり、辞書の書写をさせたりする「個別指導」をしている。第三者委員四人(いずれも弁護士)は三月、私語をした子らに、こうした「個別指導」をすることは、罰でしかなく、「一時保護所の理念にふさわしくない」と批判し、「すぐにでもやめるべきだ」と改善を求めた。
 小池百合子知事は七月の記者会見で、「重く受け止めなければならない」と表明した。家庭支援課の竹中雪与課長は「真摯(しんし)に受け止めたい」と話し、その後、一時保護所の所長に確認をしたが、「罰として指導をしていることはなかった」と言う。
 しかし、本紙の取材に対し、複数の子どもが「私語を理由にした個別指導があった」と明かしている。親から虐待され、今年、都足立児童相談所の一時保護所に入所した女子生徒は「私語を理由に一週間、ついたて内での個別指導を命じられた。完全に罰だった」と話した。
 同じ保護所にいた別の子は、意見書が提出された三月以降も、子ども同士で笑い合ったとして個別指導になるケースがあったと話した。
 足立児相の辰田雄一所長は取材に対し、「私語による個別指導や、一週間という期間はあり得ない」と否定した。辞書などの書写はさせたが「罰ではなく、自分を振り返ってもらうことが目的」と話した。 
<一時保護所> 虐待や非行などの理由で児童相談所に保護された18歳未満の子どもが一時的に生活する施設。家庭で暮らせないと判断されると、子どもを児童養護施設や里親へ委託する。都内には7カ所(定員237人)あり、7月時点の平均入所率は118%。昨年度の1人当たり平均入所日数は42・2日。都の手引では、無断外出や暴力行為など重大な問題を起こした子に、3日程度で個別指導をするが、「絶対に罰として行ってはならない」と規定している。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019081702000147.html



「辺野古ノー」米で訴え VFP総会 「現状と課題の共有を」(2019/8/17琉球新報)
 【スポケーンで大矢英代通信員】元米軍人らでつくる国際平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」の年次総会が現地時間の15日、米西部ワシントン州スポケーンで始まった。開会式に先立ち、沖縄の基地問題を考えるドキュメンタリー上映会が開かれ、米国在住・県系2世の高校生、与那嶺海椰(かいや)さんの作品「我した島ぬ宝(私たちの島の宝)Our Island Treasure」が上映された。

 作品は新基地建設が進む名護市辺野古の現状と、それに反対し続ける県民の姿を描いたもので、与那嶺さんが取材、編集した。動画はインターネット上で公開されている。上映後の質疑応答で、沖縄から駆け付けた平和を求める元軍人の会―琉球・沖縄(VFP―ROCK)のメンバー・真喜志好一さんが登壇し「辺野古新基地はベトナム戦争中に米軍が計画したが予算不足で断念したものだ。現在は日本政府が国民の税金で米国のために建設を進めている」などと現状を訴えた。

 今年の総会のテーマは「環境問題」。地球規模で起きている米軍基地からの汚染や環境破壊をテーマに18日まで開催される。会長のジェリー・コンドンさんは「沖縄でも基地による環境破壊が続いてきたが、これは沖縄だけではなく地球規模で起きている問題だ。みんなで現状と課題を共有し、解決策を話し合いたい」と語った。

 与那嶺さんの作品を見た元米空軍兵のドナルド・キムバールさん(67)は日米軍事同盟が近年ますます強化されていることを懸念し「北朝鮮や中国の脅威が基地建設推進の理由にされているようだが、脅威という言葉自体をまずは疑ってほしい。米国政府が9・11以降、対テロ戦争に突入したように、脅威論は政府に利用されやすい」と指摘した。

 VFPは、1985年に米軍の中米介入に反対する元米軍人たちが発足させた。今年の総会には世界各地から約140支部、約300人が出席している。日本本土からも元自衛隊員らでつくるVFPジャパンのメンバーが参加している。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-973207.html



(声)「要は自分次第」と心に刻んで(2019/8/16朝日新聞) 主婦 大河原佳子(東京都 82)
 看護師だった私は定年近くに耳の大病を患った。手術したが、次第に聞こえが悪くなっていった。

 定年後、福祉事務所の事務員になったが、訪れる人たちは貧困や病気、障害、借金、暴力など様々な苦難を抱え、うつむき低い小声で話す人が多かった。聞き間違いがあってはならない、何度も聞き返せないと懸命に聞き取ろうとするストレスからか、難聴は加速していった。

 私の訴えに担当医は「お年ですからね」としか語らなかった。仕事を続けられないと退職を決意した頃、地域の障害者センターの医師から大きな力をもらった。

 「聞こえないことに甘えてはならない。補聴器の力を借り、相手の表情や口元を見ながら言葉を読みとる集中力を持って下さい。大きくはっきり話してもらい、聞き取れた単語から勘を働かせて推測し、積極的に会話に参加する。要は自分自身の努力ですよ」と。

 いま私の生きる姿勢の基盤となっているのはこの言葉だ。難聴はそれほど重荷になっていない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14140985.html?ref=pcviewpage



(声)「行動で変わる」実感を学校で(2019/8/16朝日新聞) 資格学校講師 樋口良太(千葉県 33)
 7月の参院選の投票率は戦後2番目に低く、朝日新聞の世論調査では、その理由として「投票しても政治は変わらない」が最多だったといいます。中でも18、19歳の投票率は全体を大きく下回っています。

 主権者教育の必要性が叫ばれて久しいですが、18歳になったからといって政治に関心を持つわけでもないでしょう。学校教育の中で、自分が行動すれば身近な生活が変わるという実感を積み重ねていくことが大切であるように思います。

 例えば、修学旅行の行き先はどこにすべきか、制服のデザインをどうすべきかなど、与えられたルールに従うのではなく、子供たち自らが考え、話し合い、決定できる機会を増やしていく。そして、よりよい選択がないか模索する。こうした積み重ねが、「投票しても変わらない」から「行動すれば生活は変わる」という意識につながっていくのではないでしょうか。

 今年4月から、中学校でも道徳が「特別の教科」となりました。「考え、議論する道徳」への転換がうたわれています。自ら考え、行動することで生活が変わるという実感を大切にしていきたいものです。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14140982.html?ref=pcviewpage



(声)森友捜査終結、真実明らかに(2019/8/16朝日新聞) パート 森田千穂(高知県 38)
 森友問題捜査終結の記事(10日)を読んだ。民主主義国家と一応されているこの国はどうなっていくのだろう。不安や不信感とともに、がっかりした。素人ながら、検察が政権に忖度(そんたく)したのではと思えてしまう。

 森友学園に対し理由が不明瞭なまま国有地が値引きして売却され、関連する財務省公文書が改ざん・廃棄された。この事件が発覚した当時、私は3人の子育てに追われ、国家のことより、目の前のオムツ替えや「保活」、睡眠が大事だった。国有地の値引き額も大き過ぎてどこか他人事の感じさえしていた。しかし、必死で働いて得た給与から税金が引かれ、くじ引きで当たったPTA役員をする中で、民主的な決定とは何か、お金を使うとはどういうことか、事件がもたらす意味を考えさせられるようになった。信頼できるものの喪失・傷つきともいえる感覚が湧いてきた。公的機関の意思決定が、一部の人にしか分からない手順で行われているのはおかしい。

 閉じられた組織では「バレなければいい」が加速する可能性がある。国は説明義務を果たすべきで、国民も厳しく目を向けていく必要がある。国会は真実を明らかにしてほしい。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14140981.html?ref=pcviewpage



(声)語りつぐ戦争 終戦の日、13歳の兄が撃たれた(2019/8/15朝日新聞) 無職 土本吉子(福岡県 82)
 1945(昭和20)年8月15日の記憶は「畳をあげ下に隠れろ!」の叫び声から始まる。旧満州(中国東北部)の新京郊外。隣の集落は日本人が皆殺しだと聞いた。終戦も知らず、父はいつも通り出勤し不在。母と17歳の姉、13歳の兄、8歳の私は隣の一家と身を潜め日没を待った。

 暗くなり、体を寄せ合うようにして外に出た。突然、銃声がして伏せた。生温かいものが地面を流れてきて右腕をぬらした。「うわーっ」と大声を上げ大勢が近づいてくる。近くのコーリャン畑に飛び込んだ。

 だが、兄は伏せたまま。私の腕をぬらしたのは、兄が撃たれて流れた血だったのだ。大勢が兄を取り囲むのが見えたが息を潜めているしかない。そのうち豪雨となり群衆は散った。だが、どこから襲われるかわからず兄の元には行けなかった。即死ではなく一人取り残されたと気づいていたら、と思うと胸が詰まる。

 その場を脱出できたのは、見知らぬ中国人男性2人のおかげだ。小部屋に案内し、コーリャン粥(がゆ)までくれた。翌夏、引き揚げ船に乗った。幼い私を守り、私の前では涙を見せなかった母は、その2カ月前に病没。母の戦後は悲しみ一色だったと思う。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14139657.html?ref=pcviewpage



(社説)8・15 戦場の記憶 時を超え、痛みを語り継ぐ(2019/8/15朝日新聞)
 74年前のきょう、日本の降伏で戦争が終わった。
 あの昭和の時代からどれほど時を経ても、惨禍を記憶にとどめ、不戦と平和の誓いを語り継ぐ大切さはかわらない。
 満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。
 そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。
 大東亜共栄圏を掲げた日本は各地の要所を占領した。現地の人を巻き込み、犠牲を強いた。はるか遠くの島や山あいで、それぞれに刻まれた戦争の記憶と戦後がある。その傷痕に目を向けることは、歴史の教訓を学ぶうえで欠かせない。
 激戦の地で証言や資料を残そうという取り組みがある。
 パプアニューギニアの首都中心部から東に50キロ。この奥の密林で、日本軍とオーストラリア軍の激しい攻防があった。「ココダ道の戦い」と呼ばれる。
 現場はいま、観光客に人気の山岳縦走コースだ。近くのソゲリ村のビリー・イバイさん(50)のおじは当時、豪州軍の遺体や傷病兵、銃弾を運ばされた。
 「戦争を実体験した世代は消えていく。体験は共有できなくとも、気持ちを寄り添わせることはできる」

 ■語られなかった苦悩
 豪州が委任統治していたニューブリテン島(現パプアニューギニア)のラバウルを攻めた日本軍は1942年、2千メートルを超す山々を貫くココダ道を進み、豪州軍と衝突した。
 犠牲者は豪州側が600人以上、日本側が数千人以上とされる。だが、突然、戦場となった現地の人々の恐怖や苦悩はあまり語られてこなかった。
 75年の節目である2年前、イバイさんら70人超が協力して証言集ができた。昨年末には首都の国立博物館に、証言をビデオで見られる場所もできた。
 この事業を主導した同館学芸員のグレゴリー・バブリスさん(32)は言う。「私たちニューギニアは単なる戦闘の背景。豪州の歴史書には名前もない『コックの少年』『洗濯女』として登場するだけだった。その声を代弁したいのです
 同じような動きは、インド北東部のインパールでもある。
 「レッドヒル」。地元の人がそう呼ぶ丘が郊外にある。日本兵らの血で染まったことが由来だ。そのふもとにこの6月、地元の観光協会が、日本財団の協力で平和資料館を開いた。
 補給が不十分なまま無理な突撃を続けた44年のインパール作戦で死亡した日本兵は、3万人超にのぼる。一方で現地の人が強いられた犠牲をどれだけの日本人が知っているだろうか。
 館内には鉄かぶとや水筒など日英両軍の遺品だけでなく、巻き込まれた237人の犠牲者名簿も展示されている。

 ■我がことと考える
 インパールに住むチャンドラ・サキさん(85)は当時を鮮明に覚えている。
 朝、約10機の日本軍の飛行機が、爆音とともに激しい空襲を始めた。父と一緒に地面に伏せた。何も持たず別の村に逃げ、1年半後に戻ったが家はなく、英軍の拠点となっていた。腹をすかし、村を転々とした。
 「戦争は家を奪い、命を奪う。この体験を資料館が次世代に伝えて欲しい」と話す。
 開館前、地元の設立委員の人たちは日本を訪れ、沖縄の南風原文化センターとひめゆり平和祈念資料館を見学した。のどかな町や村など広域が熾烈(しれつ)な戦場となり、故郷が破壊された沖縄。その史実はインパールに通じる、と感じたという。
 ひめゆり資料館は今年、開館30周年を迎え、新たな課題に直面している。最近、来館者の感想に「ぴんとこない」との言葉があった。戦争が遠い昔の出来事に思われていると、館長の普天間朝佳さん(59)は言う。
 99年度に100万人超だった入館者数は18年度は約53万人まで減った。修学旅行も減少傾向にある。その流れを変えたいと、来夏に「さらに、戦争から遠くなった世代に向けて」というテーマでリニューアルする。
 ひめゆり学徒は沖縄戦で陸軍病院に動員された地元の女学生計222人で、うち123人が戦争で亡くなった。
 展示の刷新のかぎは「共感」。戦争前の学校生活での笑顔や表情豊かな写真を使い、身近に感じてもらう。中高生らに、学徒が同じ世代で楽しい学校生活があったことを訴えかける。

 ■戦後世代の責任
 大切なのは、踏みつけられた人、弱い立場の人の痛みを知ることではないか。
 自分の国の暗い歴史や他人の苦しみを知り、思いをはせるのは簡単ではない。だが、今の世代が先人らの心情を受け止め、戦争の愚かさを伝え、未来を切り開かねばならない。
 過去を反省することは後ろ向きの行為ではない。未来に向けての責任である。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14139655.html?iref=comtop_shasetsu_01



<社説>終戦74年 惨禍の記憶を継承したい(2019/8/15琉球新報)
 終戦から74年を迎えた。戦争の悲劇を改めて心に刻み、不戦の誓いを新たにしたい。惨禍の記憶は決して風化させてはならない。

 日中戦争から敗戦までの日本人の戦没者は310万人に上る。このうち約230万人は軍人・軍属等だ。
 沖縄では、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。帝国陸海軍作戦計画大綱(1945年1月)は沖縄を皇土防衛の「前縁」と位置付け、敵が上陸した場合、極力敵の出血消耗を図ると明記している。本土を守るための捨て石にされたのである。
 沖縄戦は凄惨を極め、日米合わせて20万人余が命を落とした。一般住民と現地召集などを含めた県人の犠牲者は12万2千人余に達する。住民の死者が際立って多い。
 日本軍は、住民の食料を奪ったり、避難していた壕から追い出したりした。スパイの嫌疑をかけられるなどして虐殺された人も多い。
 沖縄に配備された第32軍の「球軍会報」は、軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁じ、「沖縄語」で談話をする者は間諜(かんちょう)(スパイ)とみなし処分すると記している。
 「軍隊は住民を守らない」という事実は、未曽有の犠牲から得た教訓だ。
 このような惨劇を二度と繰り返してはならない。そのためには、日本がこの先もずっと、平和国家の道を歩み続けることが不可欠だ。
 ところが、近年の状況を見ると、無謀な戦争によって国が滅びかけたことさえ忘れてしまったようにも映る。
 安倍晋三政権は2014年、憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認すると閣議決定した。翌15年には自衛隊の海外活動を地球規模に広げる安全保障関連法を成立させている。戦争や紛争に国民を巻き込む危険を増大させる政策だ。
 集団的自衛権の行使は憲法上許されない、というのが一貫した政府の解釈だった。本来、一政権による閣議決定で覆せるほど軽いものではない。安保関連法自体、違憲の疑いが強い。
 安倍首相が意欲を示すのが憲法改正である。自民党は改正の条文イメージとして「自衛隊の明記」「緊急事態対応」など4項目を提示している。自衛隊の明記は、平和憲法の根幹である9条を事実上、死文化させる恐れがある。
 憲法の基本原理である「平和主義」は、多大な犠牲を出した大戦への反省から生まれたものだ。平和主義の精神を具体的に規定した9条を変える必然性は全くない。
 戦争がもたらした不幸を忘れ去ることはできないし、忘れてはならない。同時に、災いをもたらした国の仕組みや手法についても理解を深め、同じ過ちを繰り返さないように、目を光らせる必要がある。
 先の大戦から得られた反省と教訓をいま一度、思い起こしたい。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-971923.html


posted by オダック at 09:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月05日

PICKUP NEWS


(声)花や木、身近な自然に異変次々(2019/8/5朝日新聞) 無職 青山友(静岡県 74)
 「昆虫減った畑は不気味だ」(7月23日)を読みました。

 静岡・伊豆に移り住んで三十余年、庭に咲いているヤマユリやクチナシ、フリージアが4〜5年前からほとんどと言っていいほど香りません。私が子どもの頃、ヤマユリなどは2、3輪咲いていれば周りは甘い香りが漂っていました。不思議でなりません。

 ここ数年で近くの桜や梅、ツツジの幹や枝に淡緑色のコケがびっしりとこびりつきました。庭にあった直径50センチ、高さ10メートルくらいのエノキも枝の先までコケに覆われて枯れかけ、やむを得ず切り倒しました。

 昆虫だけでなく、植物の世界にも異変は起きているような気がします。

 学生時代に読んだレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しました。自然と人類との調和について、もう一度考えてみる必要があると思います。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14126828.html?ref=pcviewpage



オハイオでも9人死亡 銃乱射事件(2019/8/5東京新聞)
 【ニューヨーク=赤川肇】米中西部オハイオ州デートンで四日午前一時(日本時間午後二時)ごろ、銃乱射事件があり、警察当局によると九人が死亡、二十七人が負傷したほか、容疑者一人が警官に射殺された。容疑者の身元は特定されておらず動機や背景は不明。
 デートンは州都コロンバスの西約百キロにある人口約十四万の市で、現場は飲食店やナイトクラブなどが集まるオレゴン地区の一角。市当局によると、容疑者はライフルと防弾ベストで武装し、大容量マガジン(弾倉)を持っていた。AP通信によると、容疑者を除き四人以上が死亡する銃乱射事件は今年だけで二十二件、亡くなった犠牲者は計百二十五人となった。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201908/CK2019080502000138.html



米テキサスで銃乱射、20人死亡 白人男を拘束 憎悪犯罪か(2019/8/5東京新聞)
 【ニューヨーク=赤川肇】米南部テキサス州エルパソのショッピングモールで三日午前十時半(日本時間四日午前一時半)ごろ、銃乱射事件があり、州当局によると二十人が死亡、二十六人が負傷した。警察当局は容疑者として白人の男(21)を現場で拘束し、中南米からの移民を対象とした憎悪犯罪(ヘイトクライム)の可能性も視野に捜査している。 
 米メディアによると、拘束されたのは現場から約九百キロ東にある同州アレン出身のパトリック・クルシウス容疑者。地元警察幹部は記者会見で、容疑者によるとみられる犯行声明の存在を明らかにし、「憎悪犯罪につながる可能性をある程度示している」と指摘した。
・・・ 銃乱射事件が後を絶たない米国では、二〇一七年十月に西部ネバダ州の屋外コンサート会場で史上最悪の五十八人が死亡。昨年は十人以上が亡くなる事件が四件あり、今年五月には南部バージニア州バージニアビーチ市庁舎で十二人が命を落とすなど、近年は多数の犠牲者が出るケースが目立っている。
 テキサス州は銃規制が相対的に緩く、一般市民でも免許があれば拳銃を持ち歩けるほか、乱射事件で多用される攻撃型ライフルの規制もない。銃乱射事件では一七年十一月にサザーランドスプリングズの教会で二十六人が、一八年五月にサンタフェの高校で十人が死亡した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201908/CK2019080502000139.html



「表現の不自由展」中止 出展者・中垣克久さんに聞く(2019/8/5東京新聞)
 愛知県で開催中の「あいちトリエンナーレ2019」で、テロ予告や脅迫ともとれる抗議が相次いで中止に追い込まれた企画展「表現の不自由展・その後」。出展者の一人で東京都在住の造形作家中垣克久さん(75)が四日、取材に応じ、「民主主義の国でこんなことはありえない」と危機感をあらわにした。中垣さんの作品は五年前、「憲法九条を守り」「靖国神社参拝の愚」などと書いた紙片が「政治的」と問題視され、東京都美術館で撤去を求められていた。 
 −中止をどう思うか。
 「五年前には『殺す』と言われた。脅迫の電話が美術館や自宅にも相次いだ。今回、脅迫があっても、まずは『警察に言います』でいいのではないか。暴力から市民を守るために警察がある。警備強化のプロセスを飛ばし、いきなり中止を決めた。脅迫や暴力を肯定したことになる。騒げば展覧会を中止にできるという前例を作ってしまった。こんなに軽く主催者側が折れた事例は、知る限りない
 −来場者の反応は。
 「『頑張ってください』と言ってくれる人が多かった。直接、私への脅迫は聞いていない。ただ、知人の画廊経営者から『こんな(日韓関係悪化の)時期に慰安婦像の展示はおかしい。一緒に出品する中垣さんもおかしい』と言われ、その画廊で来年予定していた個展の開催は難しくなった」
 −慰安婦像をどう見る。
 「純粋芸術ではないが、表現の自由を考える展覧会に出すことは悪くない。見た人が自由に評価なり反駁(ばく)なりすればいい。そういう自由がなくなっている
 −政治家の発言は。
 「河村たかし名古屋市長の撤去要請は、表現の自由を保障した憲法に反する。補助金交付と絡めた菅義偉(すがよしひで)官房長官の発言も許せない。文化の独立性を汚した
 −主催者から説明は。
 「三日夜遅く、実行委員会から電話で『展示できなくなった』と。作家抜きの決定はおかしい。これも一種の暴力。四日夜、芸術監督の津田大介氏から謝罪の電話があったが、個々の作品と作家に対し、なぜ展示中止なのか、文書で理由の説明を求めたい」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080502000149.html



<金口木舌>8月6日、伊江島と広島(2019/8/5琉球新報)
 あす全国高校野球選手権大会が開幕する。かつては県勢の試合開始とともに歩行者や車が街頭や道路から消え、甲子園のテレビ中継を見るのが風物詩だった。今はスマートフォンでも視聴できる便利な時代だ

▼県民が街から消えるといえば、こちらの方が多い。戦争による負の遺産、不発弾処理だ。その周辺では避難が実施され、不便を強いられる。人でにぎわう国際通りが封鎖されることもある
▼県出身のBEGINの歌「オバー自慢の爆弾鍋」では沖縄に降り注いだ砲弾を鍋に変え、生きる糧にした戦後の暮らしを伝える。同曲を題材にしたドラマが7日、NHKBSプレミアムで放映される
▼歌は県民のたくましさを描くが、事実はそれだけではない。朝鮮戦争に伴う1950年代のスクラップブームでは集めた鉄くずの中に不発弾もあり、誤爆で命を落とす人もいた
48年8月6日、戦後最大の不発弾爆発事故が伊江島で起きた。米軍弾薬処理船(LCT)に積んだ不発弾などが爆発し、居合わせた船客や島民、乗員ら102人が死亡し、76人が負傷した
▼体験者や遺族は「8月6日は広島の原爆の日で知られるが、伊江の事故も忘れないで」と願う。今も不発弾は潜み命を脅かす。伊江港にある被爆慰霊碑は刻む。「二度とこのような惨劇が起こらない平和社会の建設を」。その思いが消え去ってはならない。
https://ryukyushimpo.jp/column/entry-966047.html



<社説>愛知芸術祭展示中止 「表現の自由」守る努力を(2019/8/5琉球新報)
 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元従軍慰安婦を表現した「平和の少女像」などの展示が中止された。展示への抗議が相次ぎ、関係者や観客の安全を確保するため中止を判断したという。残念でならない。

 少女像は、企画展「表現の不自由展・その後」の一つとして出品されており、芸術祭の実行委員会は少女像だけでなく企画展全体を中止した。企画展には昭和天皇とみられる人物を扱った作品なども含まれていた。
 芸術祭が開幕したのは1日で、わずか3日で展示は打ち切られた。表現の自由を巡る日本の危機的な状況を映し出す深刻な事態だと言える。
・・・ 展示に賛同や理解を示す声がある一方、反対の意見もあるのは自然なことであり、さまざまな議論が起こるのはむしろ望ましい。だが展示を中止に追い込む卑劣な脅迫などの行為は断じて許されない。激しい憤りを禁じ得ない。
 企画展は国内の美術館やイベントで撤去や公開中止となった作品を集めた内容で、慰安婦問題のほか天皇と戦争、憲法9条などを題材にした芸術作品を紹介していた。表現の自由について議論を喚起することが企画の趣旨だった。
 芸術祭の芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏は「日韓関係の悪化など非常に悪いタイミングが重なった」と中止に無念さをにじませた。想定を超える批判があり、展示継続は困難との大村知事の判断に「断腸の思い」で同意したというが、企画展の実施団体は中止に抗議する声明を出した。こうした事例を繰り返してはならない。
 指摘しなければならないのは、政治家たちの振る舞いだ。実行委会長代行でもある河村たかし名古屋市長は「行政の立場を超えた展示が行われている」として大村知事に抗議文を出し少女像などの展示中止を求めた。松井一郎大阪市長(日本維新の会代表)は、事前に展示は問題だと河村氏に伝えていた。芸術祭は文化庁の補助事業だが、菅義偉官房長官は補助金交付を慎重に判断する考えを示した。
 自由な創作や表現活動を守るべき立場にある行政の責任者らのこうした言動は理解に苦しむ。日本ペンクラブは「政治的圧力そのもので、憲法21条2項が禁じる『検閲』にもつながる」と指摘している。
 日本は戦後、言論・表現の自由が封殺され道を誤った戦前の反省に立ち民主主義の歩みを続けてきたが、その基盤は決して強固ではない。展示中止の経緯を検証し、議論を深めなければならない。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-966044.html



(声)シリアの「妹」に教えられた命(2019/8/4朝日新聞) 中学生 佐藤緒実(静岡県 14)
 シリアで7月24日にあった出来事の報道に、強い衝撃を受けた。

 空爆で倒壊した建物から滑り落ちそうな生後7カ月の妹のシャツをつかむ姉。自分もがれきに埋もれながら、必死の姿。その写真に、私はとてもやるせなくなった。

 正直なところ、シリア内戦をあまり気にしたことはなかった。だが写真を見て、知らなければと思った。

 なぜ子どもまで内戦に巻き込まれなければいけないのか。たくさんの死者を出してまで内戦を続ける意味がどこにあるのか。

 私は命よりも大切なものなど無いと思う。その命が簡単に絶たれる戦争など、意味は全く無いはずだ。なのに戦争はなくならない。とても悲しく感じる。

 写真を見て、私がこの姉なら自分を犠牲に妹を助けられたか、とも思った。私にも妹がいる。けんかもよくするが、大切な妹だ。だが、実際に自分の命も危険な時、とっさの判断で妹を助けられるのか。いくら考えてもわからなかった。

 生まれた場所が違うだけでこんなにも命に差が生まれるなど、あってはならない。世界から戦争がなくなることを心から願う。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14126667.html?ref=pcviewpage


posted by オダック at 20:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月28日

PICKUP NEWS

(声)「平和」を叫ぶ、庭の蛙も私も(2019/7/28朝日新聞) 雑誌記者 上遠野充(千葉県 60)
 参院選も終わり、8月15日が近づいてきた。74回目の終戦の日だ。

 さて、選挙期間中、例年にない長梅雨のせいか、わが家の庭の蛙(かわず)が元気に騒いでいた。小さな畑で除草剤も使用せず、無農薬で野菜を栽培している。

 今回、自公維で改憲発議に必要な3分の2以上の議席を獲得できなかったことは救いであった。安倍晋三首相は「憲法改正原案に向けた議論を呼びかけたい」と述べ、執念は衰えていない。

 自公連立政権は憲法解釈を閣議で変更し、安保法制を整備。特定秘密法や「共謀罪」法を強行採決した。このうえ、憲法改正手続きを定めた96条が改正され、発議要件が緩められたら大変だ。

 私は祖母の代からの創価学会員だが、今回は公明党に一票を投じられなかった。与党は国会で、国民が納得するまで論議をしてほしい。強引な政治手法は無農薬の田畑に農薬をばらまくのと同じで、蛙は死ぬ。私はわが庭の蛙のように、原点は平和主義にあり、「改憲NO!」と叫び続ける。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14116743.html?ref=pcviewpage



(声)当事者の2人、国会に新風を(2019/7/28朝日新聞) 無職 奥屋平(宮崎県 74)
 山本太郎氏が率いる政治団体「れいわ新選組」が参院選比例区で2議席を獲得した。当選したのは筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の舩後(ふなご)靖彦さんと、脳性まひで重度障害のある木村英子さんである。

 結果を知ってまず思ったのは、国会内外でのハードな議員活動を2人がどこまでこなせるのだろうか、活動をサポートする健常者の議員が必要ではなかったかということだ。

 しかし、すぐ思い直した。当事者の議員がいてこそ、その議員活動を成立させるための環境整備がなされると思うからだ。

 国会を私たちの住む街、地域の縮図と考えてみる。ノーマライゼーションが言われて久しいが、インフラ整備も心のバリアフリーも、叫ばれるほどには進んでいない。国会がハード、ソフト両面において障害者の方々に優しい環境づくりをすすめるいい契機かもしれない。

 老後に2千万円が不足するという問題もしかり。年金問題が国会議員にとっての「我が事」であれば、もっと国民目線の活発な論議がなされたのではないだろうか。

 「れいわ」のお二人には国会のあり方に新風を吹き込んでほしい。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14116742.html?ref=pcviewpage



(声)尊い贈り物、子々孫々伝えたい(2019/7/28朝日新聞) 無職 山内孝子(愛知県 88)
 わが国が始めた世界史上空前絶後の、悲惨で、愚劣な戦争の顛末(てんまつ)を、生き残りの私たちはもっと声を大にして語り継ぐべきだった。

 私たちが選んだ「選良」と呼ばれる人々が、私たちを再び奈落の底に陥れるのではないか。そんな不安が脳裏をかすめるとき、後悔の念に駆り立てられる。

 少女時代、私たちは学徒動員令によって学業を捨てさせられ、「東洋一の兵器工場」と言われた豊川海軍工廠(こうしょう)(愛知県)で懸命に兵器増産に励んだ。終戦間近の1945年8月7日、工廠はB29の空襲によりわずか30分で廃墟(はいきょ)と化し、2500人以上の犠牲者を出した。今の中学生にあたる少年少女も含まれていた。

 私は奇跡的に生き延び、終戦を迎えた。死別の悲しみ、家族の病気。家も土地も失い、貧窮にさいなまれ、自死も考えた。この無謀な戦争で失われた命は310万人。この尊い犠牲によって、日本国憲法は得られた。長い長い戦争の犠牲となった人々の尊い贈り物である。

 私たちは二度と戦争の惨禍を繰り返すまいと恒久平和を誓った。子々孫々、この贈り物を大切に伝えていってほしいと願う。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14116741.html?ref=pcviewpage



【社説】週のはじめに考える 民意の「外」から見れば(2019/7/28東京新聞)
 見る場所によって、違うものに見える。そんな視覚トリックのアート作品がありますが、どう見えるかで、どこから見ているかが分かることもあります。
 先の参院選の結果は、安倍首相には、こう見えたようです。
 「少なくとも、(改憲の)議論は行うべきだ。それが国民の審判だ」
 あまつさえ、「この民意を正面から受け止めてほしい」と野党に呼びかけさえしました。
◆米紙「改憲の権限なし」
 根拠は、与党が「勝利」したから、でしょう。確かに、開票日翌日の朝刊各紙一面には、「与党が改選過半数」の大きな見出しが躍りました。
 しかし、もう一つの大見出しは「改憲勢力3分の2割れ」(小紙はそれが一番手)です。衆院に続いて、改憲勢力が三分の二以上を占め、国会での発議ができる勢力になるかどうかが最大の焦点でしたが、そうはなりませんでした。
・・・ 選挙区で、首相が率いる自民党は議席の五割以上を獲得しましたが、全有権者に占める絶対得票率は、18・9%にすぎません。しかも、前回参院選から2ポイント以上のダウン。第二次安倍政権発足後に行われた参院選三回、衆院選二回で、二割を切ったのは今回が初めてです。
 参院選後の共同通信の世論調査によれば、安倍政権下での改憲に「反対」との回答は56%、「賛成」の32・2%を大きく上回っています。
 また、安倍内閣が優先して取り組むべき課題を二つまで選んでもらった問いでも、「年金・医療・介護」や「景気や雇用など経済政策」が上位を占め、「改憲」は実に、九つの選択肢で最も低い6・9%にすぎなかったのです。
・・・ 「シンゾー・アベは勝利を宣言したが、改憲の権限はなし」。そう掲げた米紙の見出しの方が、よほど素直です。
◆選挙後に「3分の2」
 冒頭、見る場所によって見えるものが変わるアート作品のことを書きましたが、問題は、では、首相はどんな所から、この選挙結果を見ていたのかということです。
 キーワードは、恐らく「議論する」。
 思えば、首相は選挙中、率直に改憲したい、と訴えるより、「改憲を議論する政党・候補か、議論しない政党・候補か」と繰り返していました。仮に改憲勢力が三分の二を割っても、与党が勝ちさえすれば「議論は行うべきだ、が国民の審判」と主張できる−。そう平仄(ひょうそく)を合わせられるよう、周到に練った戦略的修辞だったことがうかがえます。
 要するに、選挙結果、三分の二がどうあれ、とにかく改憲に突き進む腹づもりだった。だとすれば、もはや首相の視座は選挙−首相の言葉を借りるなら「国民の審判」や「民意」の“外”にある、と考えるほかありません。
 実際、記者会見で首相はこうも言っています。「国民民主党の中には、議論すべきだという方々がたくさんいる」。今後、「議論する」を誘い水に、何人か(あるいは丸ごと)改憲勢力に取り込む戦略です。数議席足りなかった三分の二を、文字通り、選挙=民意の“外”で達成してしまおうというのですから、いうなれば、首相の目に「国民民主」は見えていても、「国民」は見えていないということになりましょう。
 そもそも、なぜ改憲しなければならないのでしょう。国民から強い要請があるわけではない、どころか、反対が多いのに。
 首相は九条に自衛隊を明記するという自民党案について、「それだけにとらわれず、与野党を超えて三分の二の賛同が得られる案を練る」とも言っています。さらに民放番組では、国会発議と国民投票を「私の任期中に何とか実現したい」と。
 なぜ国の大事をなすのに「私の任期中」なのか。もはや、なぜ改憲するのかという核心は溶融し、「どう改憲するか」ではなく、ただ「自分の手で改憲する」こと自体が目的になっているように聞こえなくもありません。
◆間違った立ち位置
 人々の多くが安倍政権に期待しているのは「改憲」、では決してありません。先にあげた世論調査で言えば、最下位の項目です。それが、最優先に見えているのだとしたら、やはり首相の立ち位置、見ている場所が間違っている。民意の“外”にいるからです。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019072802000132.html



<社説>重度障がい者の当選 共生社会を築く契機に(2019/7/28琉球新報)
 重い障がいのある国会議員が登場する。れいわ新選組から参院選に出馬し、初当選した船後靖彦氏(61)と木村英子氏(54)だ。

 船後氏は41歳で全身の筋肉が徐々に動かなくなる「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)を発症した。現在は声を発せられず、歯でかむセンサーでパソコンを操作し、介助者が示す文字盤を目線で追って意思を伝える。木村氏は生後8カ月で障がいを負った。
 国会は船後、木村両氏の議員活動を保障するために、できることはすべて実行すべきだ。それによって、障がい者に対する理解が深まり、ハンディのある人たちが少しでも暮らしやすい社会に近づく契機になればいい。その意味で、両氏の当選は画期的な出来事だ。
 当たり前のことであるが、難病や障がいは誰にでも起こり得る。
 高齢化社会が進み、体が不自由になったり、寝たきりになったりする可能性は高くなった。しかし、現状は障がいのある人に優しい社会とは言えない。障がい者でなくても、例えばベビーカーを押していれば、道路の歩きにくさや公共交通機関の使いづらさなどを多くの人が経験しているだろう。
 国会のバリアフリーが進んだきっかけは脊髄損傷で車いすを使っていた八代英太氏の当選だった。障がい者用トイレやスロープが設置され、郵政相として入閣後は官邸に車いす用リフトができた。
 今回はさらに進んだバリアフリー化が必要だ。大型の電動車いすを使い、医療機器用の電源も必要な両氏のために、国会は出入り口近くに車いすのまま着席できる議席を設置し、電源を設置する。裁決に当たっては介助者がボタンを押し、代筆することを認めた。
 こうしたハード面の整備以外にも対応が必要だ。船後氏は文字盤を使用して会話するため意思表示に時間がかかる。
 まだ壁はある。重度障がい者は障害者総合支援法に基づく「重度訪問介護」で日常生活の介助を受けられる。しかし支援法は「経済活動にかかる支援」は雇用主らが負担すべきであるとの考え方から議員活動中は介護サービスへの公費負担が打ち切られる。両氏は「障がい者は働くなということか。仕事を持つことこそ自立支援だ」と訴える。厚労省は「現行制度では対応が難しい」との回答だが、議員活動に影響が出ないような支援が必要ではないか。
 声が出ない船後氏はALS患者らが利用する「分身ロボット」の導入を要望しており、障がい者の自立支援運動に取り組む木村氏は障がい児と健常児がともに学び会うインクルーシブ教育の実現を目指す。
 「障がい者や社会的弱者が住みやすい国に」との両氏の声は重い。真の共生社会をつくるにはどうすればいいのか。一人一人が自分事として考える必要がある。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-961794.html


posted by オダック at 16:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする