2020年03月28日

PICK UP NEWS

<社説>米軍慶良間上陸75年 原点立ち返り平和築こう(2020/3/27琉球新報)
 県民の貴い生命や財産を奪った悲惨な体験を忘れず、後世に語り継がなければならない。戦争につながる一切を否定しなければならない。沖縄の平和を求め、これらの誓いを新たにしたい。75年前の3月末、日米で20万人余が命を落とした沖縄戦が始まった。
 1945年3月26日、米軍は座間味村に、27日には渡嘉敷村に上陸し、両村の島々を制圧した。米軍の砲撃と日本軍の強制・誘導によって住民500人余が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。沖縄戦最大の悲劇が沖縄戦の緒戦で起きたのである。
 「本土決戦」への時間稼ぎのため沖縄に多大な犠牲を強いた「戦略持久戦」という日本軍の作戦方針と合わせ、県民は沖縄戦の悲劇から「軍隊は住民を守らない」という教訓を得た。さらには軍隊は住民と敵対する存在になることを多くの体験から学んだ。
・・・ 文部科学省は24日、21年度から中学校で使用する教科書の検定結果を公表した。歴史教科書の検定を合格した7社中6社が「集団自決」を取り上げたが、強制性の明記を避けたことは残念だ。一方、特集ページを設け、沖縄戦を詳述した教科書もある。これらの取り組みを評価するとともに、記述の歪曲(わいきょく)が起きないよう引き続き注視したい。
 先島の陸上自衛隊配備の動向も沖縄戦の教訓に反するものとして厳しい目を向けなければならない。
 宮古島市では市民の反対をよそに地対艦ミサイル発射台を搭載した車両が駐屯地に搬入された。石垣市では市民が求める陸自配備の賛否を問う住民投票を実施しないまま、市議会が沖縄防衛局への市有地売却議案を賛成多数で可決した。いずれも民意を踏まえた計画ではない。
 沖縄戦前年の日本軍配備は学校など公共施設、個人の土地や家屋の強制的な徴用を伴った。さらに、県民の根こそぎ動員によって日本軍陣地や飛行場が建設された。県や市町村行政が戦時行政の性格を帯びていった。
 日本軍駐屯が沖縄戦の悲劇へとつながった。この経験も踏まえ、私たちは宮古、石垣の陸自配備の是非を判断する必要がある。
 沖縄の現状を見つめ、進むべき将来を定めるため、私たちは幾度でも、戦後沖縄の原点である沖縄戦体験に立ち返らなければならない。
 そのことが沖縄の平和な未来を築く。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1096726.html



外出禁止令、ホームレスを直撃 人通りなく「収入」減る(2020/3/26朝日新聞)
 フランスで新型コロナウイルスの対策で出された外出禁止令が、約25万人に上る同国の路上生活者の生活を直撃している。支援団体の活動が難しくなり、人通りもほぼ消え、「収入」が減ったためだ。
 パリ西部。マンションの壁際で路上生活をするタイリ・カディジャンさん(46)は「あっという間に街が砂漠のようになってしまった」と話す。
 5年前に夫が病死して収入が途絶え、路上生活を始めた。生活困窮者向けに国から支給される月額560ユーロ(約6万7千円)の手当と、スーパーの前で客から時折もらう小銭や食料品が生活の糧だった。
 だが、17日からの外出禁止令で環境が一変。人通りが激減し、人々は急にマスクを着けだした。「私に誰も近づかなくなった」
 午後3時に市内の公的支援施設に通ってシャワーを浴び、イワシの缶詰やミネラルウォーターなど1食分が入った袋をもらって飢えをしのぐ。夕方になると布団に潜り、朝を待つ。
 パリで毎夕、路上生活者に食料を配ってきた支援団体ロバンデリュのトリスタン・ドレさん(26)は、「14日から支援活動ができないでいる」という。マスクや消毒剤が不足し、互いの安全を保証できなくなったためだ。
 17日に外出禁止令が始まったこともあり、多くの仲間の支援団体がいったん活動を停止した。「臨時の宿泊所は不衛生で、路上生活を選ぶ人がたくさんいる。彼らの中には新型コロナウイルスのことを知らず、どうして支援が途絶えたのかわからない人もいる。今ほど路上生活者が助けを必要としている時はない」
 別の支援財団アベ・ピエールの推計では国内の路上生活者は約25万人。政府は21日、彼らの臨時宿泊所としてホテルを活用することを発表。全国で2千室を用意する。南仏カンヌ国際映画祭の会場も、5月の開催予定が延期されたとして、50人が泊まれる臨時宿泊所として開放を決めるなど、少しずつ支援が始まっている。
https://digital.asahi.com/articles/ASN3T354WN3SUHBI00S.html?iref=comtop_list_int_n03



「検察と警察の私物化」 野党が政府人事を批判(2020/3/26朝日新聞)
 安倍晋三首相の悲願だった集団的自衛権の行使を認めた人物は、果たして「警察の監督者」にふさわしいか――。26日の参院予算委員会で、横畠裕介・前内閣法制局長官を国家公安委員に充てる人事をめぐり、野党議員が問題視。政権に近いとされる東京高検検事長の定年延長の問題と絡め、「検察と警察の私物化だ」と迫ったが、菅義偉官房長官は「問題ない」との認識を繰り返した。
 政府は17日、横畠氏を国家公安委員に充てる人事案を国会に提示した。国家公安委員は首相の任命で、任期は5年。国家公安委員会は警察庁や都道府県警察の幹部の任命などの権限を持つ。
 横畠氏は検事出身で、1993年から法制局に勤務し、2014年5月に法制局長官に就任。安倍内閣が同年7月、長年禁じられてきた集団的自衛権の行使を認めるよう憲法解釈を変更した際には、当時の高村正彦・自民党副総裁や北側一雄・公明党副代表らとともに「5人組」の一人として、閣議決定の文案作りに秘密裏に関わった。歴代の長官が積み上げてきた「憲法上行使できない」とする解釈を、一転して認めた横畠氏に対し、強い批判が上がった。
 野党統一会派の小西洋之氏(無所属)は26日の参院予算委でこうした経緯を引き合いに「憲法の解釈変更を主導した人物を国家公安委員に内示するということは、警察の私物化を狙っているのではないか」と批判。菅氏は「まったく当たらない」と否定した。
 小西氏は、政府が法解釈を変えて黒川弘務・東京高検検事長(63)の定年を延長したことを念頭に「安倍内閣は、検察と警察を私物化しようとしているのではないか」とも指摘したが、菅氏はこれも否定した。
 横畠氏は、19年3月の参院予算委で「(国会の機能は)声を荒らげて発言するようなことまでとは考えていない」と小西氏を揶揄(やゆ)するような答弁をし、金子原二郎委員長から厳重注意を受けている。小西氏は過去の因縁に触れ、「三権分立を侵すような職責を逸脱した横畠氏が、国民の良識を代表すると考える理由は何か」とただしたが、菅氏は「本人も取り下げておわびをしている」と述べ、問題視しなかった。
https://digital.asahi.com/articles/ASN3V62RQN3VUTFK00X.html?iref=comtop_list_pol_n01



【社説】補助金一転交付 文化庁は反省と検証を(2020/3/26東京新聞)
 愛知県が昨年開いた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」への補助金を不交付とした文化庁が、一転して交付を決めた。こうした混乱に至ったことを同庁は率直に反省し、経緯を検証するべきだ。
 あいちトリエンナーレは、三年ごとの開催。昨年は、従軍慰安婦を象徴する「少女像」などからなる企画展が、「反日」といった激しい抗議を受けてわずか三日で中断する異常な状況となった。
 文化庁は愛知県に補助金七千八百万円を交付する予定だったが、手続き上の不備があったとして、全額の不交付を決定した。芸術家や識者らからは「事実上の検閲」と強い抗議の声が上がった。県側も訴訟を辞さない方針だった。
 だが文化庁は今月二十三日、約千百万円を減額するものの、補助金を交付することを表明。いったん内定した補助金の交付を一方的に取り消し、さらにそれを撤回するという極めて異例な事態だ。
 これを受けて識者からは、今回の決定を歓迎しつつも、どのような論理で不交付を撤回したのか明らかにするよう同庁に求める声が上がった。もっともだろう。
・・・ そもそもなぜ補助金は不交付とされたのか。政府は「文化庁の判断」としてきたが、そこに企画展を問題視した政治家などの介入はなかったのか。逆に、そうした意見に対する同庁の側からの過度な「忖度(そんたく)」はなかったのか。
 同庁が今後、自主的で自律的に施策を遂行するためにも、不交付の決定から撤回までの経緯を検証し、公開することが必要だろう。
 一九六八年の設置から半世紀あまりとなる文化庁。人が人らしく生きる上で大切な文化の営みに関わる官庁だが、一方でこの間、かけがえない歴史遺産である高松塚古墳(奈良県)の壁画の劣化を糊塗(こと)し、信頼を失いもした。今回の問題でも自らを戒め、今後の文化行政に適切に反映させてほしい。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020032602000153.html



恐怖が支配、ガマの記憶 「集団自決」生き延びた女性が証言 米軍座間味上陸75年(2020/3/26琉球新報)
 米軍が座間味島に上陸した1945年3月26日、当時15歳で座間味国民学校高等科2年だった田中美江さん(89)=旧姓・高江洲=は家族と共に逃げ込んだガマで「集団自決」(強制集団死)の危機に直面した。島の教師が破裂させようとした手りゅう弾は不発だったため家族は生き延びることができた。島の米軍上陸と多くの村民が犠牲となった「集団自決」から26日で75年。田中さんは「戦争は人の心を壊し、夢や希望を持てないようにする」と平和の尊さを語り掛ける。
 45年3月23日の昼前。阿佐の山で同級生らと開墾作業に汗を流していた田中さんは米軍の空襲に遭い、田中さんは阿佐の集落内にある家に逃げ帰った。その日から家族5人の避難生活が始まった。
 空襲は24日も続き、25日には艦砲射撃が始まった。山は焼け、日本軍の応戦はなかった。田中さんは阿佐集落から離れた海岸線沿いにある「ユヒナのガマ」へ、祖母と母親、1歳年下の妹、3歳年下の弟と共に逃げ込んだ。その時には「恐怖心に支配されていた。もう駄目だと思った」
 ガマには教師が家族と共に避難していた。米軍の上陸で壕に逃げた住民は極限状態に追い込まれていた。手りゅう弾を持っていた教師は「一緒に自決してもよいと思う人は、先生の後ろにおいで」と呼び掛けた。死を覚悟した田中さんは「アイちゃん」と呼んでいたいとこと2人で先生の背後に回った。その時、祖母と母親は引き留めなかったという。
 教師が破裂させようとした手りゅう弾は不発だった。その後、カミソリを研ぎ始めた教師を見た住民が騒ぎ出し、一度は自決を決意した田中さんもわれに返って家族と別のガマへ移動した。田中さん家族はガマを転々とし、生き延びることができた。しかし、仲の良かった同級生3人は「集団自決」で亡くなった。
 「戦後75年はあっという間だった」と田中さんは自らの人生を振り返る。「体験談を語るのは、今はつらいとは思わない」と話し、自身の体験を島の子どもたちに語ったこともあるが、自決を決意したユヒナのガマでの記憶だけは曖昧だ。
 「恐怖心であまり覚えていない。一度死のうとしたのに、失敗した後で生きようと思った理由も分からない」と語り、その理由を「覚えていたくないからじゃない」と静かな笑顔を浮かべた。その表情は75年たったも消えることがない恐怖や悲しみを深く刻み込んでいるように見えた。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1096228.html



(声)コロナ政策、説明尽くしてこそ 無職 阿部成治(福島県 72)(2020/3/26朝日新聞)
 新型コロナウイルスの流行で、国や自治体が対策を呼びかけ、市民生活にいろいろ制約が生じている。
 なかでも、3連休前の「大阪と兵庫の往来自粛」要請には、驚いた。両府県で感染者が急増する、という政府資料に大阪府知事が危機感を感じたためだそうだ。だが当初、その資料すら公表されなかった。しかも法的根拠もない。
 こうした対策は、意義を理解した市民が進んで協力することで、効果が高まるはずだ。国や自治体の説明不足に危うさを感じる。
 私が大学教員の頃からまちづくりを調べているドイツ・ボーフム市は21日から、屋外の3人以上の集会を禁止した。初の市民の死亡例が発生したためだが、厳しい措置に驚いた。
 ネットで調べると、例外と期限がきちんと設けられている。また命令は約140語の文章だったが、その理由説明は4倍近い約530語だ。
 さらに法的根拠や不服の際の裁判手続きの説明も。日本と異なる「ていねいな説明」に感動すら覚えた。
 政策の狙いと考え方がわかれば、市民も主体的に行動できる。ドイツでは普通だが、日本もこのような説明努力を行うべきだと考える。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14416855.html?iref=mor_articlelink04



サウジ皇太子の側近らを起訴 記者殺害事件でトルコ当局(2020/3/26朝日新聞)
 サウジアラビア人記者のジャマル・カショギ氏が2018年にイスタンブールのサウジ総領事館で殺害された事件で、トルコ検察当局は25日、サウジのムハンマド皇太子の側近ら20人を起訴したと発表した。トルコはサウジに容疑者らの身柄引き渡しを求めているが、サウジ側に応じる気配はなく、トルコで裁判が開かれる可能性はほとんどない。
 トルコメディアによると、起訴されたのは、実行犯のほか、ムハンマド皇太子の側近のカハタニ元王室顧問と情報機関のアシリ元副長官ら。検察当局は2人の関与について、「凶悪な意図による計画された殺人を教唆した」としている。
 事件をめぐっては、サウジの裁判所が昨年12月、殺害に直接関わったとされる5人に死刑判決を言い渡した。カハタニ氏とアシリ氏については、事件に関わった十分な証拠がないとして釈放された。トルコ政府は判決後、「カショギ氏の遺体が発見されず、殺害の首謀者も明らかになっておらず、説明責任が果たされていない」と批判していた。
https://digital.asahi.com/articles/ASN3T7R03N3TUHBI02Z.html?iref=comtop_list_int_n05



世界のコロナ感染40万人超える 死者、イタリアが最多(2020/3/26朝日新聞)
 新型コロナウイルスの世界の感染者数が25日、累計で40万人を超えた。米ジョンズ・ホプキンス大学システム科学工学センターが世界保健機関(WHO)や各国政府の発表を集計した。感染者は22日に30万人に達したばかりで、拡大に歯止めがかかっていない。
 同センターのまとめでは、感染者数は8万人超の中国本土に続き、イタリアが約7万人まで増えた。米国も急増しており、5万人を超えた。約4万人のスペイン、約3万人のドイツが続き、欧米での感染拡大が目立っている。
 死者数は世界で1万8千人を超えた。このうちイタリアが最多で7千人に迫っている。また、スペインが約2800人、フランスも1千人を超えた。ロイター通信によると、英国は24日午前9時(日本時間同日午後6時)で死者が87人(26%)増え、422人になった。同国の1日当たりの増加としては過去最大としている。
https://digital.asahi.com/articles/ASN3T36H8N3TUHBI00S.html?iref=comtop_list_int_n05



「もう時間ない」イタリアからの悲鳴 2分間の衝撃映像(2020/3/25朝日新聞)
イタリア看護師連盟が公開した医療現場の危機を訴える映像の画面。「私たちは絶え間ない恐怖の中にいる」と書かれている
 新型コロナウイルスの欧州での感染の中心となっているイタリアで、医師や看護師らが悲痛な叫びを上げている。医療従事者の間で感染が広がり、現場の態勢が危機的な状況に陥っているとの訴えだ。国内の死者は5千人を超えたが、政府は外出禁止などの対策をとり始めて2週間となるこの数日が、感染の勢いを見極める山場とみている。
 「明日でなく、今すぐプロの人材が必要です。もう時間がありません」
 イタリアの看護師連盟が今月中旬に発表した2分弱のビデオ映像は、国内外に衝撃を与えた。
 画面に登場する現場の看護師らは、医療用のゴーグルの痕で目の周りが腫れ上がっていた。限られたスタッフが、長時間の勤務を強いられているためだ。
 医師や看護師らの身を感染から守る器材が不足し再利用せざるを得ない状況で、同連盟は「(看護師らは)絶えず感染の危険にさらされている」と訴えた。
 さらに同連盟は「尊厳がないまま死んでいく人を見ている。疲れ切った仕事の終わりでなければ、泣く時間もない」と、医療従事者が直面する現場の厳しい状況も伝えた。
 同国高等衛生研究所によると、21日の時点で約3700人の医師や看護師が新型コロナウイルスに感染。現場を離れなければならなくなり、現場の態勢に影響を与えている。
 政府は20日、感染が集中する同国北部の医療現場を支えるため、300人の医師を緊急募集。発表から24時間という短い受付期間にもかかわらず、全国の医師7923人が応募したという。
 支援の動きは、国外にも広がっている。中国は感染症対策の専門家チームを派遣し、マスクや人工呼吸器などの医療機器も届けた。キューバも約50人の医師と看護師を送ったほか、ロシアや米国からも医師が到着する予定だ。
 イタリア政府の発表によると、新型コロナウイルスによる死者は22日に5千人を超え、5476人となった。前日から651人増えたが、増加幅は前日に比べ減少した。感染者は5万9138人で、うち7024人が回復した。
 政府は、全土で行っている外出禁止や商業活動の停止など厳しい封じ込め対策から約2週間がたち、対策の効果がこの数日で表れるのではないかと期待する。22日に会見した市民保護局のアンジェロ・ボレッリ局長は「警戒を怠らず対策を続ける必要があるが、(増加幅の減少)傾向が確かなものになってほしい」との期待を示した。
https://digital.asahi.com/articles/ASN3T3QZCN3RUHBI031.html?iref=comtop_8_03


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2020年03月27日

PICK UP NEWS


遺族メモ「国会答弁が改ざんの原因」  はぐらかす首相(2020/3/24朝日新聞)
 安倍晋三首相の国会答弁が引き金になった――。学校法人森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、自殺した近畿財務局職員の赤木俊夫さん(当時54)の妻が23日に公表したコメントは、くすぶり続ける疑問を改めて突きつけた。首相は野党から繰り返し質問されたが、自身の答弁の影響を否定。再調査にも応じなかった。
 同日午前に公表されたコメントは「安倍首相は2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました」との言葉で始まっていた。「私や妻が関与していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と言い切った首相答弁を取り上げたものだ。
 財務省が18年6月に発表した調査報告書によると、この答弁の9日後から改ざんは始まった。だが、報告書は首相答弁の影響には触れず、改ざんの目的として「さらなる質問につながり得る材料を極力少なくすること」とし、当時の理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)氏が「方向性を決定づけた」とまとめていた。
 妻のコメントを受け、23日の参院予算委員会では、改ざんのきっかけが焦点となった。
 共産党の小池晃氏は、報告書の「さらなる質問につながり得る材料を少なくすること」の部分を引用しつつ、「『さらなる質問』とは首相に関する質問だ。国有地売却と、首相と夫人の関わりを明らかにしないための改ざんだったことを認めるか」とただした。
 首相は「小池委員は、なるべく私に(関与を)寄せよう、寄せようとしている」とはぐらかし、「それはまさに小池委員の見解だ。(私とは)見解が違う」と不快感をにじませた。そのうえで、週刊誌が報じた赤木さんの生前の「手記」に言及。「手記の中には、私の発言がきっかけだったという記述はない」と自身の答弁の影響を否定した。
 野党統一会派の芳賀道也氏(無所属)は赤木さんの「遺書」を読み上げ、「首相発言が改ざんのきっかけだ」と迫った。首相は「同じ質問ですから同じような答えになるのはお許し頂きたい。場外からのヤジが多過ぎる。ヤジがないとダメなんですか」と笑いながら答弁。「答弁が改ざんのターニングポイントというのは手記にはない」とし、関与を示す直接の表現がないことを繰り返し強調した。
 妻は同日午前のコメントで、再調査を拒む姿勢を示す首相や麻生太郎財務相を名指しし、「2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではない」と批判した。
 首相は予算委で「手記に新しい事実がある」などと再調査の必要性を何度も問われたが、佐川氏が改ざんの方向性を決定づけたことなどが財務省の報告書に書かれていることを挙げ、赤木さんの残した遺書や手記と報告書は「趣旨として同じ内容で両者に齟齬(そご)はない」と強調。再調査を改めて否定した。
 立憲民主党の福山哲郎氏が「第三者機関を入れて調査委員会を立ち上げてはどうか」と提案した際には、「最強の第三者機関と言われる検察がしっかりと捜査をした結果がもうすでに出ている」とし、その必要性を否定した。・・・
 麻生太郎財務相は23日午前の参院予算委員会で、森友学園に関する公文書改ざんを苦に自殺した財務省近畿財務局の赤木俊夫さんの遺族への弔問について、「原告と被告が裁判所以外で会うのはなかなか難しい」と述べた。18日午前の国会答弁では遺族の了解があれば弔問する意向を示していたが、その後、赤木さんの妻が国などを提訴したことを受け、一転、否定的な考えを示した。・・・
自殺した近畿財務局職員の妻のコメント(23日午前に公表)
 安倍首相は2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました。
 麻生大臣は墓参に来てほしいと伝えたのに国会で私の言葉をねじ曲げました。
 この2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います。
自殺した近畿財務局職員の妻の2度目のコメント(23日午後に公表)
 今日、安倍首相や麻生大臣の答弁を報道などで聞きました。すごく残念で、悲しく、また、怒りに震えています。夫の遺志が完全にないがしろにされていることが許せません。もし夫が生きていたら、悔しくて泣いていると思います。
 調査報告書と遺書も齟齬(そご)がないということですが、齟齬はあると思います。なぜ齟齬がないのか明確にして頂きたいと思います。
 再調査をしないとのことですが、何を言われても何度も再調査の実施を訴えたいと思います。財務省の中の人が再調査をしても同じ結論になるので、是非、第三者委員会を立ち上げて欲しいと思います。このままうやむやにされるとすれば、夫の遺志が全く果たされないことになります。
 弔問に関しては、麻生大臣が裁判を理由に弔問を断るのは絶対におかしいと思います。私に会わなくても、夫のお墓をお参りするのはいつでもできるはずです。夫の墓前に手を合わせて欲しいと思います。また、もし麻生大臣が私と会って頂けるのであれば、是非ともお会いして、お話をお伺いしたいです。
https://digital.asahi.com/articles/ASN3R6VTSN3RUTFK01D.html?iref=comtop_8_06



筆洗(2020/3/24東京新聞)
 レコード会社のごみ箱の中に歌詞が捨てられていた。それをたまたま見かけた女性が拾い上げ、読んだところ、かわいそうな戦災孤児の歌だった▼これをどうしても歌いたい。関係者にかけ合った。ヒットした「ガード下の靴みがき」(一九五五年)である。ごみ箱の曲を拾い育てた人が亡くなった。歌手で女優の宮城まり子さん。九十三歳。誰も気に留めなかった存在に手を差し伸べる。その後の生き方と重なる逸話かもしれぬ▼父親は生活の苦しいジャズマン。弟さんと二人でたいへんな苦労をして音楽の道に入った。戦後は巡業の日々だったそうだ▼からだの不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を設立したのは障害者というだけで教育が受けられない当時の現実と自身が子ども時代に経験した悲しみがある。弟さんとこんな約束をしていたそうだ。「泣いている子にやさしくしようね」。それが学園となった▼当初は俳優の道楽と見られ、苦労の連続だった。汚物の付いた何十枚もの下着を素手で泣きながら洗った。干し終えたとたん、ロープが外れて全部落ちた。「神様、私はうそつきです。やさしくなんかありません」。逃げ出したくなる日もあったという▼子どもたちにはこう教え続けた。「やさしくね、やさしくね、やさしいことは強いのよ」。「やさしくしようね」から逃げなかった強い人が旅立った。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2020032402000157.html



【社説】森友文書改ざん 佐川氏の喚問が必要だ(2020/3/24東京新聞)
 森友学園を巡る財務省の公文書改ざんは、行政に対する信頼を損ねる重大な問題だ。再調査はもちろん、佐川宣寿元理財局長の証人喚問など、国会の国政調査権に基づく真相の徹底究明が必要だ。
 文書改ざんを強いられた財務省近畿財務局職員の遺族が国と佐川氏を提訴したのに合わせて公表した職員の手記には、改ざんは「すべて(当時の)佐川理財局長の指示です」などと記されていた。
 手記が公表された以上、再調査すべきは当然だが、安倍晋三首相は拒否している。きのうの参院予算委員会でも、再調査を求める野党議員の質問に「麻生太郎財務相の下、事実を徹底的に調査し、明らかにした。捜査当局による捜査も行われた」と答えた。
 確かに、財務省は二〇一八年六月四日付で、文書改ざんに関する調査報告書を公表している。
 佐川氏の関与については「一連の問題行為は、国有財産行政の責任者であった理財局長が方向性を決定付けた」「国会審議をさらに紛糾させかねない対応は避けるべきであり、(国会に要求資料を)提出する前に中身をよく精査すべきとの指示をしていたものと認められる」などと記してはいる。
 しかし、報告書は佐川氏が文書改ざんの方向性をどのように決定付けたのかや、直接指示の有無については明らかにしていない。
 そもそも財務省の調査は内部調査にすぎず、事実関係の特定が難しく、推認も盛り込んでいるとした上で「今後、新たな事実関係が明らかになる場合、さらに必要な対応を行っていく」とも記す。
 「すべて佐川理財局長の指示です」と記された手記が公表され、新たな事実関係が明らかになった以上、再調査を拒む政府の姿勢は理解しがたい。財務省は内部調査にとどまらず、外部の専門家による再調査を行うべきではないか。・・・
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020032402000176.html



「笑わない被害者」勝手な虚像 性暴力被害 沈黙破る女性たち(2020/3/23東京新聞)
 当時十九歳の実の娘に性的暴行を加えたとして準強制性交罪に問われた父親(50)を、逆転有罪とした先日の名古屋高裁判決。一審の無罪判決は、被害者が「逃げられたはずだ」と断じた。そんな司法や社会の被害者に対する思い込みが、救済を遠ざけている。性暴力の無罪判決への抗議から各地に広がった「フラワーデモ」をきっかけに、レイプ被害を受けた女性が「偏見を変えたい」と沈黙を破った。 
 東京都内の大手企業に勤める久保田さん(28)は大学生の時、バイト先で会食に連れて行かれ、被害に遭った。トイレから出ると飲み物が勝手に取り換えられていた。口にした後、記憶が途切れた。意識が戻ったのは会食の場にいた男に暴行された後だった。
 七年後の昨年十二月下旬、ネットの書き込みに衝撃を受けた。「本当の被害者はこんなふうに笑えない。知り合いが言っていたよ」。書き込みには三万件の「いいね!」。元TBS記者の性暴力を訴えて勝訴した、ジャーナリスト伊藤詩織さんが笑顔で取材に応じる写真が添えられていた。
 「詩織さんが笑って何が悪い。社会人として笑顔で応対できたことは、むしろ立派だと思う。レイプ被害者という望みもしないレッテルに、二十四時間・三百六十五日、人格を支配されたままでいろというのか」
 居ても立ってもいられなくなり、今年一月には京都で、二月には東京駅前のフラワーデモでマイクを握り、自身がレイプ被害者と明かした。「私は冗談を言うし、友達とカラオケに行く。仕事も楽しい。なぜ笑ってはいけないんですか。強く抗議したいです」
 久保田さんは被害直後、助けを求めた医者にさえ「なぜ避妊しなかったのか」と理不尽に責められた。長かった髪を自分でめちゃくちゃに切り、死にたいと思い詰めた。一年近く、寝て起きて通院するだけの日々を送った。警察に行ったが不起訴に。その間の記憶はほとんどない。この七年、日常を取り戻そうと必死に生き延びてきた。
 「笑わない被害者」と同じく、「被害者は死ぬほど抵抗するはずだ」という刑法の性犯罪規定も、勝手に第三者がつくった「虚像」だ。性暴力の被害救済のためには、そんな世間の虚像を壊さなければ前に進めない。フラワーデモをきっかけに久保田さんは、実態を伝えていくと心に決めた。
 「もう黙らない」
◆欧州では「同意なしは犯罪」
・・・ 性暴力について欧州では性交の同意がないだけで犯罪とする流れだ。2011年、欧州評議会はイスタンブール条約で批准国に「同意なき性交」を犯罪と規定するよう要求した。ドイツは16年、「ノー」の意思を示せばレイプとなる刑法に改正。スウェーデンでは明確に「イエス」と意思表示しない限り罪になるよう18年に刑法を改めた。
 日本では、17年の刑法改正の審議会で同意なき性交の扱いが議論されたが慎重論が多く、見送られた。 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202003/CK2020032302000127.html



山中教授が新型コロナHP開設 「最新の研究成果正確に発信」(2020/3/23東京新聞)
 人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発でノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都大教授(57)=写真=が、新型コロナウイルスについて最新の研究成果をまとめ、ホームページで紹介している。「自分にできることは、医学研究者として情報をできるだけ正確に発信すること」。多忙の合間を縫ってほぼ毎日更新している。
 ウェブサイト「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」(https://www.covid19-yamanaka.com)を13日から始めた。新型コロナの3つの特徴やインフルエンザとの違いを解説するほか、新型コロナ関連の科学論文から重要と考える成果を紹介し、コメントも添えている。
 きっかけは、11日に発表された選抜高校野球大会の中止。球児たちが涙をこらえて受け入れる姿を見て「心が震えた」という。同時に、新型コロナとの闘いでは、それぞれができることを根気よく続ける必要がある、と考えた。
 山中教授自身は感染症や公衆衛生の専門家ではないが、iPS細胞をいかに分かりやすく発信するか、考えてきた自負もある。
 新型コロナの「正しい可能性が高い情報」として、「年齢により致死率に差があり、高齢者の致死率は10%前後と高い」「感染力は、一番低い報告でも、季節性インフルエンザと同程度」などを挙げている。同時に「正しいかもしれないが、エビデンス(証拠)が不十分な情報」も列挙している。・・・
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202003/CK2020032302000225.html



宮城まり子さん死去 「母」のまなざし、深く 「ねむの木」半世紀 障害者教育に尽力(2020/3/23東京新聞)
 二十一日に死去した宮城まり子さんは歌手、俳優として活躍するかたわら、肢体不自由な子どものための施設「ねむの木学園」を一九六八年に設立し、長年にわたって教育や福祉活動に尽力した。園生から母親のように慕われた宮城さんとの別れに、関係者は悲しみに包まれた。
<評伝>
 肢体の不自由な子どもたちの施設「ねむの木学園」設立から半世紀。園長として学園のために奔走してきた宮城まり子さんは「みんな、かわいい良い子。食べちゃおうか」と、ちゃめっ気たっぷりに園生への愛を語っていた。
 「子どもたちのお祭り」と毎年楽しみにしていた学園の運動会。昨年の秋、「もう(食事の)味まで分からない」とがんの進行を明かしながらも、車いすに乗ったまま、数時間にわたって歌や踊りを指揮し続けた。「おかあさん」「子どもたち」と呼び合う園生との強い絆が、場内を温かい空気で包んだ。
 静岡県浜岡町(現御前崎市)に、ねむの木学園をつくったのが一九六八年。土地取得や職員集めなど、さまざまな苦労を乗り越えた。園長として、「母」として、多忙を極める毎日。経済的にも常に厳しい運営を強いられたが、宮城さんの気力を支えたのは子どもたちの“輝き”だった。
 園生が描く絵が放つ、豊かな感性に驚かされた宮城さん。決して描き方を教えることはしなかった。線がゆがんでいても、それがその子の持ち味という考えだった。
 「言葉でしゃべれない子も、絵でしゃべることができる」。自然や音楽、宮城さんとの触れ合いを通じて、感性が花開くのをただ待つだけ。その指導法は絵画だけでなく、手描き友禅、コーラスなど多彩な活動に及んだ。
 宮城さんの活動を支えたのは、長年にわたるパートナーだった作家吉行淳之介さんと交わした約束だ。「子どもたちのために絶対に(学園を)やめない」。吉行さんを生涯愛し続けたように、子どもたちにも優しいまなざしを注ぎ続けた人生だった。 
◆上皇ご夫妻が弔意
 宮城まり子さんの死去を受け、親交が深かった上皇ご夫妻が宮内庁上皇職を通じ、養護施設「ねむの木学園」に弔意を伝えられたことが、宮内庁関係者への取材で分かった。
 上皇ご夫妻は、皇太子夫妻時代から宮城さんと交流があり、学園を訪問したり、上皇后美智子さまは園生が描いた絵画などの作品展にも足を運んだりした。
 最近では二〇一八年十一月、ご夫妻が学園を訪れ、車いすに乗った宮城さんと園生の活動を見て回った。
◆園生の心配、最期まで 学園教諭が悼み「新たな教育実践」
 養護施設「ねむの木学園」で三十九年間、宮城まり子さんと共に仕事をしてきた教諭の梅津健一さん(61)は二十三日、静岡県掛川市の同園で取材に応じ、宮城さんについて「障害のある子どもたちの健康状態を亡くなる直前まで気に掛けていた。子どもたちの学校の先生であると同時に、母のような存在でもあった」と振り返った。
・・・ 梅津さんは「障害のある子どもたちに対する新たな教育の仕方を実践した人だった。肉親を亡くしたような思いだ」と宮城さんの死を悼み、「教育理念を受け継ぎ、子どもたちを守っていきたい」と決意を新たにした。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202003/CK2020032302000228.html



沖縄県に辺野古埋め立て承認再撤回を要請へ 県民投票の会元メンバーらが会合(2020/3/22琉球新報)
 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古埋め立ての是非を問う19年2月の県民投票実施を直接請求した「辺野古」県民投票の会の元メンバーらが21日、那覇市内で会合を開き、今後の対応を協議した。投票結果を根拠に埋め立て承認の再撤回を行うことや、全国キャラバンを沖縄以外の全46都道府県で行うことなどを県に要請することを決めた。近く玉城デニー知事と面談し、要請書を手渡す。
 会の代表を務めた元山仁士郎氏は「県民投票の結果が尊重されることを沖縄の中でも議論を深めないといけないが、日本にも再確認していかないといけない」と述べた。
 県への要請は(1)適切な時期の再撤回(2)全国キャラバンの46都道府県での実施(3)東京行動の早急な実現(4)辺野古新基地建設の中止と、普天間飛行場の県外・国外移設を国民的議論に基づき公正で民主的に解決すべきとする意見書の県議会可決と全国への呼び掛け(5)全国知事会で同意見書の採択を求める―の5項目。
・・・ 東京行動については「全国に理解を広げていかないと解決できない」「(基地集中の背景に)植民地的構造があると認識してもらうことが大事だ」などの意見が相次いだ。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1093965.html


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2020年03月22日

PICK UP NEWS


(社説)森友問題 真実知りたいに応えよ(2020/3/20朝日新聞)
 意に反する不正行為を強いられ、公務員としての矜持(きょうじ)も砕かれた。その無念はいかばかりであったか。いまだ解明されていない森友問題の真相に迫る新たな動きにつなげねばならない。
 森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざんに加担させられ、自ら命を絶った近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)の妻が、国と当時の理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)氏に損害賠償を求める訴えを起こした。
 弁護団が公表した赤木さんの手記には、本省主導で公文書が改ざんされていく過程が、関係者の実名入りで詳細に記されていた。すべてが佐川氏の「指示」であるのに、近畿財務局に責めを負わせようとする財務官僚の無責任体質への怒りもつづられていた。
 麻生財務相はきのうの記者会見で、18年に財務省が公表した調査報告書と手記の内容に「大きな乖離(かいり)」はないとして、再調査を行う考えはないと述べた。報告書では、佐川氏が改ざんの「方向性を決定づけた」と認定しているが、具体的な指示があったのか、佐川氏の一存だったのかなど、肝心な点ははっきりしていない。
 そもそも、第三者が入らぬ財務省の内部調査である。首相官邸や森友学園の名誉校長だった安倍首相の妻の昭恵氏らからは話も聞いていない。そして、この問題の核心である国有地の大幅値引きについては端(はな)から何も調べていない。全容解明に程遠い報告書を盾に、再調査を拒むのは不誠実極まりない。
・・・ 「(国有地売却に)私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」。改ざんは首相がこう言い切った国会答弁の後に始まった。首相は手記をどう受け止めるのか。国会できのう「胸が痛む」としながらも、事実関係は麻生氏の下で徹底的に解明されているとの認識を示した。この問題をもう終わったことにしたいのだろう。
 赤木さんの妻が公表したコメントにはこうある。「夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が誰のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたのか、真実を知りたい」。この切実な声に応えずして、首相への信頼回復はない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14409568.html?iref=comtop_shasetsu_01



【社説】森友文書で提訴 改ざんの闇に迫らねば(2020/3/20東京新聞)
 「森友学園」問題の闇はあまりに深い。文書改ざんを強要され自殺した財務省職員の生々しい手記が明るみに出た。妻が起こした訴訟で改ざんの実態や国有地売却の真相に迫らねばならない。
 「元はすべて佐川(宣寿(のぶひさ))理財局長の指示です。パワハラで有名な佐川氏の指示には誰も背けないのです」−そんな言葉がつづられた手記や遺書を近畿財務局職員だった赤木俊夫さん=当時(54)=の妻が公表した。
 二〇一七年二月に国会で国有地売却の疑惑を追及された安倍晋三首相が「私や妻が関係していれば首相も議員も辞める」と答弁した。赤木さんが公文書の改ざんを始めるのは、ちょうどその後だ。
 手記には「学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するように指示があった」とある。国会で佐川氏が「(議員らからの)不当な働き掛けは一切なかった」と答弁した二日後だった。
 「こんな事をする必要はない」と上司に涙ながらに訴え「相当抵抗した」ものの、上席国有財産管理官だった赤木さんは決裁文書から安倍昭恵首相夫人や政治家らの関与を示す部分を削除する作業を強制されたのだ。
 国会が会計検査院に検査を要請した際には「検査院に資料を示さないよう本省から指示があった」とも。上司からは「元の調書が書き過ぎているんだよ」とも言われたと記されている。
 「森友事案はうそにうそを塗り重ねるという、あり得ない対応を本省が引き起こしたのです」とも。「最後はしっぽ切り」との言葉は何とも痛々しい。
 うつ病を発症し、一八年三月に赤木さんは自殺。同省は決裁文書の改ざんを認め、二十人を処分したものの、検察は佐川氏ら三十八人全員を不起訴とし、闇が残ってしまった。それゆえ妻は「本当のことを知りたい」と佐川氏と国に約一億一千万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴したのだ。
 究明不足だったのは明らかだ。それでも財務省は「新事実はなく、再調査しない」と国会答弁した。「決着済み」などという不誠実な態度を許してはなるまい。検証チームをつくった野党は徹底的に真相に迫ってほしい。
 もともと八億円の値引きという、ありえない国有地の取引が発端だった。新設の小学校の名誉校長は安倍首相夫人。もう一度、会計検査院などが不自然な経緯を洗い直すのも当然である。調査再スタートの契機とすべきだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020032002000170.html



森友再調査 首相拒否 職員遺族提訴「検察が既に結果」(2020/3/20東京新聞)
 安倍晋三首相は十九日の参院総務委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却問題を巡り、自殺した財務省近畿財務局の男性職員の妻が国を提訴したことを受け「検察が既に捜査を行い、結果が出ている。麻生太郎財務相の下で事実関係を徹底的に調査し、明らかにした」と野党側が求めた再調査を拒否した。
 首相は財務省による決裁文書改ざんを重ねて陳謝。男性職員が残した手記を読んだことを明らかにし「痛ましい出来事で本当に胸が痛む」と話した。国民民主党の森本真治氏への答弁。
 麻生氏は記者会見で、改ざんに関し「経緯は調査報告書で明らかにした。それに尽きる」と再調査を否定した。「手記と報告書で(事実関係に)大きな乖離(かいり)はない」と述べた。
 これに対し、立憲民主党などの野党は森友問題再検証チームの初会合を国会内で開いた。男性職員の手記と財務省の調査報告書の記述との違いに関し、同省担当者を追及した。
 手記には決裁文書改ざんは「すべて(当時の)佐川理財局長の指示」と記されていた。財務省報告書は佐川氏が「方向性を決定付けた」としながら、指示の有無を明記していなかった。・・・
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202003/CK2020032002000151.html



<311メディアネット>毎日放送 大阪市西淀川区佃地域 合言葉「一人も見逃さない」(2020/3/20東京新聞)
 大阪市西淀川区佃地域は、川の中州。四方を川に囲まれた島に、一万七千人が暮らす。国道2号と43号、そして阪神電鉄が地域を横切り、かつては阪神工業地帯の中核を形成した。海抜ゼロメートル地帯ということで、これまで何度も風水害の被害にあっている。自然災害で橋が通行できなくなれば、地域は孤立する。
 防災意識が高まるきっかけになったのは、一九九五年の阪神・淡路大震災だった。北東部の佃一丁目と二丁目では、土地が液状化して半壊などの被害を受けた住宅も多く、長期間にわたり断水が続いた。一方、同じ町内の四丁目や五丁目では、すぐにライフラインが復旧。それなのに情報は共有されず、助け合うことができなかった。「佃地域が一体になって、防災に取り組む必要を感じた」と、佃地域活動協議会の平田房夫会長(77)は語る。「佃はひとつ」というスローガンは、この教訓から生まれた。
 まず、災害時の住民の役割分担と連絡系統を決め、防災組織の表をつくった。次に取り組んだのが、津波避難ビルの確保だ。大阪市よりも先に、町会が主体となって、民間のビルと覚書を交わし、津波発生時に近隣住民を受け入れてもらえるようにした。地域の防災マップに掲載された避難ビルは十五カ所ある。そのひとつである「佃公園スカイハイツ」には、マンションの裏側の一戸建て住宅の住民が災害時にスムーズに入れるよう、非常口を設置した。
 六十五歳以上の高齢者には、地域行事や健康情報などを知らせる「お節介(せっかい)通信」を毎月発行し、見守り担当者が手渡しで配布する。「一人も見逃さない」が地域の合言葉だ。課題は住民の高齢化で、「今年は中学校と一緒に避難訓練をしたい」と平田会長。阪神・淡路大震災から始まった地域防災の取り組みは、進化を続けている。
 南海トラフ地震で最大五メートルの浸水被害が想定されている佃地域に、高台はない。川を渡って他地域に避難するのも現実的ではない。橋が通行不能になる可能性もあるからだ。「津波避難ビル」への垂直避難で命を守り、数日間は地域内の助け合いで乗り切る。
<記者の視点>  高齢者向けに発行される「お節介通信」には、ふれあい喫茶や運動会など地域行事の情報に加え、「もうすぐ春ですね」「寒いから体に気をつけて」など、たわいもない言葉が並ぶ。この小さなお節介の積み重ねが、災害時の助け合いにつながり、命を守るのだと思う。 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/202003/CK2020031802000177.html



(声)不安伝染、ウイルス同様怖いかも 高校生 小幡なるみ(茨城県 16)(2020/3/19朝日新聞)
 ニュースの話題は新型コロナウイルスばかりで、人々の不安は絶えない。こんな状況の中、私たちをもっと不安に陥れるうわさがネット上で流れた。「トイレットペーパーが品薄になる」。この一言から世の中が変わった。
 家のトイレットペーパーがなくなりそうになり、母に頼まれて近くのスーパーへ行った。そこにトイレットペーパーが1袋だけ残っていた。手に取ろうとした時、向かいから猛ダッシュで来た中年の女性にその最後の袋を持っていかれた。女性はうれしそうに友人のところへ行き、トイレットペーパーを手にしたことを自慢した。
 この瞬間、私はとても悲しく、情けなく感じてしまった。不安を消すためだけに買う人もいる一方で、すでに買い置きがないなどで困っている人もいる。元はと言えば、このうわさはわずかな人物から始まり、SNSなどで情報が恐怖心となって伝染し、人のあり方をも変えてしまった。世界中に感染が広がった新型コロナウイルスと同じくらい怖い、と感じた。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408039.html?iref=mor_articlelink06



(声)40歳以上の研究者に救済の手を 大学非常勤講師 岡田一郎(千葉県 46)(2020/3/19朝日新聞)
 2月20日付の記事「大学の若手教員 どう増やす」を読みました。政府は40歳未満の若手の割合を2016年度の23・4%から25年度までに30%以上へ増やす予定で、運営費交付金を若手の割合に応じて傾斜配分することが見込まれる、とありました。
 現在、優れた実績がありながら大学の常勤ポストに就けず、非常勤講師職などでなんとか生活している40歳以上の研究者が多くいます。常勤ポストがむしろ減らされている中、国の後先を考えない博士号取得者増加政策のために競争が激化し、常勤ポストを得る機会を逸したまま40歳を迎えた人々なのです。
 国は、彼らが若手の時は何ら救済せず、今になって「大学の若手教員が減っているので40歳未満優先」だなんて。こんな不平等で理不尽な政策であっていいわけがありません。
 若手教員の割合を増やすことはもちろん大事です。しかし同時に国は、十分な実績をあげながら、不運にも今まで常勤ポストを得ることができなかった40歳以上の研究者の雇用を増やす努力も行うべきです。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408038.html?iref=mor_articlelink05



(声)平和のバトン 祖母の東京大空襲、伝える 高校教員 上條由貴(東京都 29)(2020/3/19朝日新聞)
 昨年、祖母が亡くなった。100歳だった。去る3月10日、東京大空襲の日、祖母から聞いた話を思い出した。戦時中、祖父は海軍へ徴兵され、祖母は幼かった伯父と一緒に、東京の下町で暮らしていた。
 東京大空襲では火の海の中、伯父を背負って逃げ回ったそうだ。「タクシーに焼夷(しょうい)弾が当たり、黒こげの人がハンドルを握っていた」「防空壕(ごう)に入れと言われたが、胸騒ぎがして入らなかった。直後に焼夷弾が壕の中に落ち、全員死んでしまった」……。幼い頃に聞いた祖母の話は、本当に恐ろしかった。
 戦争が終わった時、祖母は「やっとぐっすり眠れる」と安堵(あんど)したそうだ。空襲警報は夜中に鳴ることが多く、もうこのまま死んでもいいかな、と何度も思ったそうだ。もし戦中に亡くなっていたら、父や私はいない。
 毎年この日に、東京で起きた悲劇を学校で教えている。「3月10日は何の日?」と聞くと、生徒は首をかしげる。沖縄戦や広島・長崎への原爆投下は知っていても、東京大空襲を知る生徒は少ない。今年は休校となってできなかったが、今後も伝えたい。過去から学び、未来に生かすのは、私たち若い世代の役目だ。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408036.html?iref=mor_articlelink03



(社説)原発事故賠償 基準見直し東電動かせ(2020/3/19朝日新聞)
 福島第一原発事故をめぐる東京電力の賠償は不十分だとする判決を、仙台と東京の二つの高裁が続けて言い渡した。事故によって避難を余儀なくされた人々が起こした集団訴訟は約30件ある。さきがけとなった両高裁が、そろって今の賠償のあり方に疑義を呈した意義は大きい。
 裁判で被災者側は、避難指示が解除されても、かつて暮らした地域に戻るのは簡単ではないし、戻っても、まちや地域社会は全く違うものになってしまっていると訴えていた。
 いずれの高裁も、被災者たちが「ふるさとの喪失・変容」と呼ぶこうした被害の深刻さを認め、避難を強いられたことや、その後の生活に伴う精神的苦痛とは別に償われるべきだと判断。支払い済みの金額に上乗せして慰謝料を認めた。
 東電は、政府内に置かれた原子力損害賠償紛争審査会が定めた指針にこだわり、それを上回る一律の支払いをかたくなに拒んでいる。簡易な手続きによる損害回復をめざして設けられた「原子力損害賠償紛争解決センター」が、集団申し立てを受けて和解案を示しても、相次いで拒否。さらには、審理を重ねたうえで福島地裁がした和解勧告まではねつけた例もある。
 受け入れれば全体に影響が及び、賠償総額が膨らんでしまうとの危惧があるのは明らかだ。しかし東電は、事故後に「3つの誓い」として▽最後の一人まで賠償貫徹▽迅速かつきめ細やかな賠償の徹底▽和解仲介案の尊重――を宣言している。
 この誓いを踏まえ、両高裁の指摘を真摯(しんし)に受け止めて行動するのが、未曽有の事故を起こした企業の当然の務めだ。国策として原発を推進し、東電の実質的な大株主である国にも、厳しく指導する責任がある。
 二つの判決は指針の不備も浮き彫りにした。事故直後に作られ、何度か改定されたものの、原発事故の実相に対応できていない面があるのは明らかだ。「ふるさとの喪失・変容」は、事故から9年という時が流れたからこそ、はっきり見えてきた被害といえる。それが人々にどんな影響をもたらしているか。議論を深め、指針の見直しに着手するときではないか。・・・
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408035.html?iref=mor_articlelink02



地下鉄サリン25年 オウムとの闘い後世へ 旧上九一色村の住人ら「監視日誌」保存(2020/3/19東京新聞)
 十三人が死亡、六千人以上が重軽傷を負った地下鉄サリン事件から二十日で二十五年。オウム真理教の拠点施設「サティアン」があった山梨県旧上九一色(かみくいしき)村(現甲府市・富士河口湖町)で、住民が教団との闘争の歴史を保存しようと動き始めている。教団対策委員長を務めた江川透さん(83)は「地下鉄サリン事件を起こしたオウムが確かにこの地にいたという事実を残したい。闘いの軌跡や止められなかった反省もひっくるめて」と思いを語る。 
 平成三(一九九一)年七月十三日、天候はれ 14・55 ベンツ来て事務所のところまでバックする。麻原か?
 対策委のメンバー二十人が、同年から一年数カ月にわたり二十四時間態勢で記録した「監視日誌」。茶色い染みが付いたファイルが過ぎた年月を物語る。
 教団が高さ約三メートルの鉄壁の奥でサティアン建設を進める中、住民は高台のプレハブ小屋から見張った。江川さんは稼業の酪農で夜間に牛の搾乳をする妻と昼夜交代で監視に当たった。
 監視活動に教団以外からも「宗教弾圧じゃないか」との批判もあったが、抗議や工事の差し止め訴訟を続け、「危険な集団」の暴走を止めようと闘った。
 九五年三月二十日、自宅で地下鉄サリン事件のニュースを見た時、「オウムがやったな」と直感した。サリンは過去に異臭騒ぎが起きた「第七サティアン」辺りで製造したと思った。残念ながらその通りだった。
 教団との闘いの記録を残そうと、江川さんらは今月、地元の公民館の一室に雑然と置かれていた監視日誌や第七サティアンにあったガスマスク、ホーリーネーム(信者の教団内の名前)が書かれたヘルメットなど千点以上を、新たに購入した専用ロッカーに保管した。今後、資料に目録を付けて管理する。
・・・ 地下鉄サリン事件からもうすぐ四半世紀。富士山麓に広がる旧上九一色村にはのどかな空気が流れ、教団がいた当時の面影はない。「教団さえいなければ、もっと酪農や観光で栄えた。無駄に時が失われた」と江川さんはつぶやき、こう訴えた。「まだ後継団体の信者は残っている。二度と同じような事件を繰り返させてはだめだ」
<旧上九一色村とオウム真理教> 山梨県旧上九一色村(現甲府市・富士河口湖町)では、1989(平成元)年からオウム真理教が教団施設「サティアン」の建設を開始。第1〜第12サティアンや医療棟、礼拝堂など30棟以上で信者らが共同生活や修行をした。94年の松本サリン事件や95年の地下鉄サリン事件で使用されたサリンは、第7サティアンがあった「第3上九」と呼ばれる地域で実験、製造。同3月、警視庁が強制捜査に入り、多数の幹部らを逮捕。同5月、第6サティアン内の隠し部屋に潜んでいた元代表の麻原彰晃(しょうこう)元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=を逮捕した。98年までに全てのサティアンが閉鎖され、取り壊された。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202003/CK2020031802000276.html



「内閣吹っ飛ぶ」森友文書改ざんで職員 遺書は震える字(2020/3/18朝日新聞)
 「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」。2年前、公文書の改ざんを強いられた、とする手記と遺書を残して財務省近畿財務局の職員が自殺した。なぜ夫は死ななければならなかったのか――。妻は、すべてが法廷で明らかになることを願う。
公私ともに充実 暗転したあの日
 「責任をどう取るか、ずっと考えてきました。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありません」
 弁護団は提訴に合わせて、赤木俊夫さん(当時54)の手記や遺書を報道陣に公開した。手記は、自宅のパソコンに残されたA4サイズ7枚と手書きのメモ2枚。3通が残されていた手書きの遺書には、震えるような字がつづられていた。
 訴状などによると、赤木さんは明るく社交的な性格で、書道や落語、美術鑑賞などを楽しむ生活を送っていた。誠実な努力家でもあり、誇りを持って仕事に取り組んでいたという。
 夫婦仲も良く、公私ともに充実した日々。しかし2017年2月26日の日曜日、その生活が暗転した。
 赤木さんが休日で妻と義母の3人で公園を訪れていた時、上司から「登庁してほしい」と連絡が入った。「上司が困っているから助けに行くわ」。出勤した赤木さんを待っていたのが、改ざんの指示だった。
 「内閣が吹っ飛ぶようなことを命じられた」「私は相当抵抗しました」。手記などから、赤木さんが必死に不正にあらがった様子が浮かぶ。それでも最後は押し切られ、改ざんに手を染めざるを得なかった。
消えた笑顔「僕は犯罪者や」
 改ざんを重ねるうちに、明るかった赤木さんから笑顔が消えてふさぎ込むように。同年7月、うつ病と診断され、仕事に行けなくなった。同年12月に大阪地検から電話で事情を聴かれると、病状は急速に悪化していった。自宅でも「玄関の外に検察がいる」「僕は犯罪者や」などと繰り返し、周囲に自殺願望を語るようになった。そして18年3月、赤木さんは命を絶った。
 弁護団によると、妻は当時のことを「体の半分がちぎれて無くなったようだ」と語ったという。しかし、その後も国側の対応に苦しめられた。弁護士を通じて佐川宣寿(のぶひさ)・元同省理財局長に経緯の説明と謝罪を求めたが、面会は実現しなかった。公務災害とは認定されたが、開示された資料は大半が黒塗りでその理由もわからなかった。
 弁護団の生越(おごし)照幸弁護士は会見で、妻の心情をこう代弁した。「手を尽くしても、知りたかったことが何もわからない。ご遺族にとって残された道は訴訟しかなかった」
妻「佐川さん、本当のこと話して」
 自殺した財務省近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)の妻は、弁護団を通じて次のようにコメントした。
 (財務省近畿財務局の職員だった)夫が亡くなって2年が経ちました。あの時どうやったら助けることができたのか。いくら考えても私には助ける方法がまだ見つかりません。
 心のつかえが取れないままで夫が死を決意した本当のところを知りたいと思っています。
 夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が誰のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたのか、真実を知りたいです。
 今でも近畿財務局の中では話す機会を奪われ苦しんでいる人がいます。本当のことを話せる環境を財務省と近畿財務局には作っていただき、この裁判ですべてを明らかにしてほしいです。そのためには、まず佐川さん(佐川宣寿・元同省理財局長)が話さなければならないと思います。今でも夫のように苦しんでる人を助けるためにも、どうか佐川さん、改ざんの経緯を本当のことを話してください。よろしくお願いします。・・・・・
https://digital.asahi.com/articles/ASN3L6HX4N3LPTIL01F.html?iref=comtop_8_02



(社説)関電の経営陣 統治の根幹が問われる(2020/3/18朝日新聞)
 経営悪化の責任としてカットしたはずの役員報酬を、会社がこっそり補填(ほてん)する。福井県高浜町の元助役(故人)から多額の金品を受け取り、追加納税することになった元役員らには、その分の穴埋めをする――。
 関西電力でまたも驚くべき事実が明らかになった。電気料金値上げを強いられた消費者、そして給与や賞与を減らされた関電従業員への背信であり、社会をあざむく行為である。電力供給を担う公益企業の統治の根幹が厳しく問われている。
 関電は東日本大震災後に原発が止まり、12年3月期に赤字へ転落。直ちに役員報酬のカットを始め、19年6月まで続けた。その間(かん)、電気料金を2度値上げし、社員にも痛みを強いた。
 報酬補填は16年夏に始まり、元助役との関係が表面化した19年秋までに、18人に計2億6千万円が支払われた。同社には役員が退任後も嘱託として残る慣習があり、「月給」の支払いに上乗せした。このからくりは、金品受領問題を調べた第三者委員会の報告書で指摘された。補填は当時の森詳介会長と八木誠社長の2人で決めたという。
 また追加納税分の穴埋めは、それぞれ相談役と会長になっていた両氏と、岩根茂樹前社長=14日に辞任=の3人の協議によるもので、対象とされた4人のうち1人に対し、すでに一部の支払いが済んでいる。
 経営首脳の規範意識のなさ、会社法など各種法令の抜け道を探って企業統治を形骸化させる行いに、言葉を失う。
 そもそも関電は、元助役からの金品受領について2年前に国税当局の指摘を受け、調査をしながら自ら公表しなかった。社内の取締役を集めた「研修会」なる場で概要が伝えられたが、「公表せず」との判断に誰も異議を唱えなかった。
 その研修会に出席していた一人が、今般、副社長から社長に昇格した森本孝氏だ。就任会見で「信頼回復に取り組む」と繰り返したが、人々の胸にどこまで届いたか。旧体制との連続性を優先するような姿勢は、会社そのものの存続を危うくすると肝に銘じるべきだ。
 第三者委の報告で、原発をめぐる関電と元助役との癒着は、当初いわれていた以上に根深いものであることがわかった。関電側は元助役が関係する複数の会社に次々と工事を約束・発注し、法外な接待を重ねる一方で、75人もの役員・社員が金品を受け取っていた。
 刑事告発を受けた検察当局、大阪市を始めとする株主、そして政府、国会。それぞれが与えられている権限に基づき、関電の「闇」を徹底解明する責務を負うことを忘れてはならない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14406560.html?iref=comtop_shasetsu_02



【私説・論説室から】法相は壊れたのか?(2020/3/18東京新聞)
 「東日本大震災のとき、検察官は福島県いわき市から最初に逃げた」−森雅子法相が九日の国会で唐突に述べた言葉が大問題になっている。小西洋之参院議員が東京高検検事長の定年延長問題を追及しているときだった。
 「(定年延長が必要な)社会情勢の変化とは何か」と小西氏が質問したら、答弁が何と「東日本大震災の…」だったのである。まるで意味をなしていない。何かが壊れたのかと思ったほどだ。議場もざわめいた。
 森氏は十二日に首相から厳重注意を受け、記者団におわびを表明し、十三日の国会で謝罪した。だが、野党は「事実と異なる答弁をしたのは極めて遺憾」「更迭するべきだ」などとさらなる追及を続けている。
 壊れてもやむを得まい。無理筋の定年延長、無理筋の法解釈の変更に国会答弁せねばならないのだから。多くの法学者や法律家団体が「違法」と考え、抗議する声明を出している。法律家からすれば、どう考えても「定年延長はできない」のに、首相が「法解釈を変更した」と口にし、法相は「できる」と国会答弁を続けている。
 いつ、なぜ変更したか、それを合理的に説明できなければならない。法相は毎回、論理的にはっきりしない答弁を繰り返すばかりだ。「壊れたテープレコーダー」とも小西氏に評された。もはや法相はかなり追い詰められているのかも。 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2020031802000165.html



(声)平和のバトン 母と叔父、語り継ぎたい涙 無職 中村俊昭(千葉県 74)(2020/3/18朝日新聞)
 忘れられぬ涙が二つある。
 戦後、ラジオで宮城まり子の「ガード下の靴みがき」を聞いていた母が突然泣き出した。小学生だった私はびっくりして、「かーちゃん、なじした(どうした)?」と聞いた。「今、この歌の子らのように両親が死んだら、お前たち7人はどうなるんだろうって考えると……。こんな田舎では靴磨きだって花売りだってできないだろうし」。台湾から引き揚げてきた私たち家族。母は、将来への不安で涙を抑えられなかったようだ。
 一方、叔父は農道で馬車に出あうたび涙した。戦地に残してきた軍馬のことを思うと、涙が出るという。叔父は獣医師として出征。戦争中は「一銭五厘」と言われた兵士より大事にされたという軍馬だが、敗戦とともに軍も正気に戻り、帰還船には兵隊しか乗れず、軍馬は野放しになった。
 馬を見るたび、敗戦の悲哀がよみがえったのだろう。2人の涙は、私にとっては語り継ぐべき戦争の涙である。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14406564.html?iref=mor_articlelink06



(声)事件を生んだ社会を考え続ける 障害者家族会会員 福島健太郎(神奈川県 71)(2020/3/18朝日新聞)
 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害したとして、元職員の植松聖被告に16日、死刑判決が出ました。障害のある娘を持つ父として、なぜこうした犯罪が起きるのか自問してきました。そして何より、逮捕時の笑い顔が気になってなりませんでした。
 報道で彼の考えを知りました。「社会のために善いことをしたのだから自分を認めてほしい」。彼はただそれだけを言い続けているように思いました。彼の考えに同調している人も多いのかもしれません。
 「殺すなかれ」というのは、人間社会が決めた禁忌だったはずです。しかし、それがいかにもろく、崩れやすいものなのか、今回の事件で改めて思い知らされました。
 人間の承認欲求は時として暴力と結びつきます。今回の事件の特異性は「社会のために」と正当化され、実行されたことだと思います。そうである以上、彼に自らの罪責を認めさせることは難しいでしょう。
 私たちにできることは、彼のような考えが生まれる社会を少しでもよい方向に変えていくことです。一人ひとりが考え続けていくよりほかないことだけは確かだと思います。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14406562.html?iref=mor_articlelink04

posted by オダック at 19:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする