2018年08月09日

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[大弦小弦]生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は…(2018/8/9沖縄タイムス)
 生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は2013年1月、那覇市長として参加したオスプレイ配備撤回を求める東京行動だったのではないか。「沖縄の総意」を示そうと銀座をパレードした県内全市町村長らが、沿道から「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」などの罵声を浴びた
▼東京のど真ん中で体感したむき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という。翌年の知事選に「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げて出馬した際、動機の一つとして繰り返し語っていた
▼政府と鋭く対立して一歩も引かなかった背景にはあの日の屈辱があったはずだ。15年、辺野古新基地建設反対の県民大会での「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー」の言葉は多くの県民の心に響いた
▼6月の県議会でやせ細った姿で懸命に机の縁につかまって歩いていた。本来は治療に専念すべき病状だったのだろう
▼7月27日の埋め立て承認撤回を表明した会見。基地建設阻止の公約の実現性を疑問視する質問に一瞬笑みを浮かべ、気色ばんで反論した。「何十年先も沖縄は振興策をもらって基地を預かったらいいですよ、などというのはとても容認できない」。最後の公の場となった
▼沖縄の知事が在任中に亡くなったのは初めて。志半ばでこの世を去った無念さは想像に余りある。ご冥福を祈りたい。(田嶋正雄)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/296083



筆洗(2018/8/9東京新聞)
 晴れた空には、妙なものが見えた。<落下傘が二つふわふわ降りてきよるバイ、おかしかねえ>。長崎測候所で、観測当番が言う。天気図の修正をしていた所長が立ち上がった。<広島に落とされた新型爆弾かもしれない、早く防空壕(ごう)に…>▼長崎海洋気象台の『100年のあゆみ』には、原爆投下の日の気象やきのこ雲の詳細とともに職員の証言が残されている▼職員が部屋から駆けだすと、青白い閃光(せんこう)が走る。外の景色は<黄色のフィルターを>通したように感じられ、長崎市上空には小さな丸い雲が見えた。<砂浜に寄せる白いさざなみそっくりな…雲は…その輪を広げていく>▼続いて<百雷が一時に落ちたかと思う爆発>。爆風と熱にのまれた。字を追っていけば、その時の緊迫感が恐怖を伴って迫ってくる。貴重な記録だろう▼きょうは長崎原爆の日。悲しみ、苦しみ、恐怖を体験した人々が少なくなる中で迎える平成最後の原爆忌である。被爆者の六割以上が、高齢による体力の衰えなどで被爆体験を語っていない。共同通信によるそんなアンケート結果も、先日の紙面にあった▼生の声が細る一方で、世界には、今なお一万五千発の核兵器があるという。<さざなみの雲が広がったところに巨大でグロテスクで陰惨な色彩のきのこ雲が不気味に浮いていました>。あの時を思う必要がまだまだあると胸に刻む日だろう。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018080902000165.html



【社説】LGBT施策 自民は真剣に取り組め(2018/8/9東京新聞)
 重い腰を上げた末に形だけの指導か。自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が、月刊誌への寄稿で性的少数者(LGBT)を「生産性がない」と表現した問題。党は多様性を認め合う社会実現へ、やる気を示せ。・・・「生産性」によって人間の価値をはかるなど、人権侵害の差別的発想であることは言をまたない。
 これに対し、自民党は当初「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観もある」(二階俊博幹事長)と静観を決め込んだが、一日付の党のホームページで「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現がある」とし、杉田氏に注意するよう指導したと発表した。
しかしこの党見解、寄稿のどこに理解や配慮の欠如があったとしているのかさっぱり分からない。
 本人に謝罪、撤回を求めず、党としての謝罪もない。指導は、党幹部が口頭で行い、本人は「真摯(しんし)に受け止め、今後研さんに努めていく」とコメントしたのみ。具体的な処分もなく「問題としました」と、形だけ取り繕ったにすぎないのではないか。
 寄稿への批判が高まる中、同じ自民党の谷川とむ衆院議員は、同性愛は「趣味みたいなもの」と発言。二階氏は再び「大げさに騒がない方がいい」と指摘した。首相も杉田氏の問題に一般論のような感想を述べるにとどまっている。
自民党は、直近の参院選、衆院選で、LGBTへの理解増進法の議員立法の制定を公約しているが、議員個々の人権感覚は鈍いままではないのか。今回の党見解では、そうした公約を基に「性的な多様性を受容する社会の実現」を目指すと強調した。ならば、議員立法の実現に向けて具体的な議論を急ぐのが筋だ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018080902000176.html



(社説)原爆の記憶継承 若い世代の新たな挑戦(2018/8/9朝日新聞)
 唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現を訴える日本には、広島・長崎の体験と記憶を継承する責任がある。広がる無関心と無理解、圧力と萎縮にどう抗していくか。
 長崎市出身で、原爆を経験した母親から話を聞いてきたノーベル文学賞受賞作家、カズオ・イシグロ氏(63)は「実際に生き抜いた人と会い、フェース・トゥ・フェースでつながる」大切さを言い、「体験が『歴史』になり始めたとき、違う方法で語らねばならない」と説く。

 ■人権・環境と重ねて

 日本でも、ICANに通じる試みが広がりつつある。
 核兵器廃絶を目指す国際署名活動でキャンペーンリーダーを務める林田光弘さん(26)は、長崎生まれの被爆3世だ。中学時代に関心を深め、国連を訪ねて平和を訴える長崎発の活動「高校生平和大使」も担った。大学進学で上京後、周囲の関心の低さに驚き、悩んだ。
 いま、講演会などで全国を飛び回りながら強調するのは、「新しい視点を持つ」ことだ。
 核兵器の恐ろしさを、人間の尊厳の破壊という観点で考えてみる。国際的な環境保護運動「アースデイ」の行事に飛び込み、環境の側面から見た核兵器の問題点を訴える。
 原爆問題に興味がない、特に若者に参加してもらおうと、イベントの開催でお笑いタレントやモデルと組んだ。今年2月に東京・渋谷で開いた「ヒバクシャと出会うカフェ」では、一方通行の語りにならないよう、被爆者1人を3人が囲み、双方の思いが行き交うようにした。

 ■ゆるくつながる
 広島市の平和記念公園の近くにあるカフェ「ハチドリ舎」は、政治、環境、人権、災害ボランティアといったテーマについて、関心を持つ人がゆるやかに集まり、語らう場だ。
 経営する安彦(あびこ)恵里香さん(39)は茨城県の出身。国際NGOへの参加をきっかけに、原爆をはじめ未解決の課題を意識するようになった。クラウドファンディングを活用して1年前に開店。関連する書籍を並べ、イベントを開きながら「ソーシャルブックカフェ」をうたう。
 毎月「6」のつく日に、被爆者の証言を聞く会を催す。「原爆の日」の6日は被爆者や原爆孤児ら7人を招いた。家族連れ、女子高生、原爆忌に合わせて帰省した地元出身者、米国人らが店内で小さな輪を作った。
 「被爆者と友達になってほしい。知ることで優しくなれるし、被爆地だけの問題ではないとわかる。もっと人が出会い、つながる場にしたい」と話す。

 ■被爆者とともに
 こうした取り組みを被爆者が後押しする。林田さんに国際署名活動のリーダーになるよう声をかけたのは、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)だった。被爆体験を若者に伝えようにも、社会の状況が当時と大きく異なり、対話すらままならない。ならば、発信から若者に任せよう。そんな考えからだ。
 日本被団協の運動にまつわる資料や被爆者の証言、手記、絵などを収集しているのが、NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」だ。ネット上に公開し、東京でセンターの開設を目指す。
 大学生らが整理や分類などを手伝っている。数人のグループは、被爆者に関するデジタルアーカイブを作る仕組みを整えた。被爆前と被爆してからの人生を、デジタル地図の上で追えるようにする。世界各地に散らばる被爆者を紹介し、連絡してみようと思わせる仕掛けだ。
 作業に協力する渡邉英徳・東大院教授(43)は「若者のほうが最新の技術に詳しく、おもしろがってアイデアを持ち寄る」と話す。手伝いを通じて学生が原爆について考え、継承の担い手に育つことを応援する。

 確実に減り続ける被爆者が悲願とする「核なき世界」を、人類全体の目標に――。未来を生きる世代の自由な発想と行動に期待したい。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13628229.html?iref=comtop_shasetsu_01



(声)東海第二原発、意見募集の意味は(2018/8/9朝日新聞)主婦 和田三千代(千葉県 83)
 停止中の日本原子力発電東海第二原発(茨城県)について、安全対策方針が基準に適合していると認める審査書案を原子力規制委員会がまとめ、それへの意見募集が3日締め切られた。消費者運動に45年取り組んできた私だが、今回は出さなかった。いや、出せなかったのだ。
 この原発は運転開始から11月で40年が経ち、再稼働のためには運転延長の認可がいる。その手続きとしての意見募集だが、募集要項を見ると、500ページ近くある審査書案を読み、どこに意見があるのかページ番号を明記して提出するよう求められている。他に参照するよう指示されている審査状況の資料も、膨大な量にのぼる。
 募集する意見の内容も「科学的・技術的な意見」に限定されている。これに対応できる人はどれだけいるのだろうか。素人の意見はいらない、といわんばかりの条件ではないか。
 東海第二原発は東日本大震災で外部電源を失い、冷温停止まで3日半かかった。私の街は、東京電力福島第一原発の事故直後、放射性物質が飛来し「ホットスポット」と呼ばれた。「異論は少なかった」として原案を通されては、納得できない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13628235.html?ref=pcviewpage



国連総長、長崎を最後の被爆地に 平和式典で訴え(2018/8/9東京新聞)
 国連のグテレス事務総長は9日、長崎市で開かれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典であいさつし「長崎を核の惨禍で苦しんだ地球上最後の場所にしよう」と呼び掛け、核兵器廃絶に取り組む姿勢を強調した。事務総長の長崎の平和式典出席は初めて。
 グテレス氏は、核兵器のない世界を目指して被爆体験を語り続けてきた被爆者を称賛。「(被爆者が)全人類のために上げた声に、耳を傾けなければならない。新たな被爆地、被爆者を容認することはできない」と訴えた。
 グテレス氏は式典に先立ち原爆資料館を見学した。入り口では、水色の国連旗と日の丸の小旗を持った約50人の小学生がグテレス氏を出迎えた。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018080901001130.html



長崎原爆の日 核根絶を犠牲者に誓う 田中さん、故郷離れ活動50年(2018/8/9東京新聞)
 長崎市で九日営まれた「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」。県外在住者で初めて「平和への誓い」を行った埼玉県新座市の田中熙巳(てるみ)さん(86)は、被爆者の苦難の歴史と原爆の非人道性を訴え、核兵器禁止条約に署名しない政府を「極めて残念でならない」と強く批判し、安倍晋三首相の顔をにらみつけた。故郷を離れ、国内外で五十年にわたり核兵器根絶に心血を注いできたからこそ、条約の重みを人一倍感じる。 
 ・・・「全国に移り住んだ被爆者は被爆後十年余り、誰からも顧みられることなく、原爆による病や死の恐怖、偏見、差別などに一人で耐え苦しんだ」。この日の誓いでも、全国の被爆者の苦しみを代弁した。
 二〇〇〇年から被団協事務局長に就き、核拡散防止条約(NPT)再検討会議など海外で被爆体験を語り続けた。現職の代表委員に就任した翌月、国連で核兵器禁止条約が採択。昨年十二月にはノルウェーを訪れ、条約を主導した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞授与式も見届けた。「道筋が見えてきた。これほどうれしいことはない」。被爆者たちの無念が少しでも報われる気がした。
 だが安倍晋三首相は条約に署名する気をまったく見せない。約五十年、核兵器廃絶に取り組んできた自分だからこそ伝えられることがあるのではないかと考え、本来は「長崎市民がやるべきだ」と考えていた「平和への誓い」の公募に今回名乗りを上げた。
 県外、国外の活動を通じ、多くの人と分かり合えた。そこに希望を抱き、声を上げ続ける。政府への願いもいつか届くと信じ、誓いを「ヒバクシャ国際署名運動をさらに発展させ、速やかに核兵器禁止条約を発効させ、核兵器もない、戦争もない世界の実現に力を尽くす」と締めくくった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080902000256.html


posted by オダック at 19:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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