2019年07月20日

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イランが英タンカーを拿捕、報復行為か ホルムズ海峡(2019/7/20朝日新聞)
 イランの最高指導者直属の精鋭部隊・革命防衛隊は19日、中東のホルムズ海峡で英国の石油タンカー1隻を拿捕(だほ)したと明らかにした。英領ジブラルタルの自治政府が今月4日にイランの原油を積んだタンカーを拿捕したことなどへの報復とみられる。同海峡をめぐっては、米国が対イラン包囲網の構築を目指す「有志連合」の結成を呼びかけるなど、緊張が高まっている。
 防衛隊は拿捕の理由について、「国際的な海洋規制の順守を怠ったため」としている。タンカーは現在、検査や法的な措置を受けるためにイランの港に向かっているという。
 タンカーの所有会社と管理会社が19日夜に出した共同声明によると、英国時間の19日午後4時(日本時間20日午前0時)ごろ、英船籍の「ステナ・インペロ」が同海峡の公海を航行中、所属不明の複数の小型船とヘリコプターが接近。その後、タンカーはイランに向かって北進し、連絡がとれなくなったという。タンカーには23人が乗っていたが、けが人の情報はないという。
・・・ 英メディアによると、英企業が所有するリベリア船籍のタンカーも一時拿捕されたが、その後解放され、航行を再開したという。
https://digital.asahi.com/articles/ASM7N1F3VM7MUHBI03R.html?iref=comtop_list_int_n02



イラン外交官に米が移動制限 ザリフ氏、国連に是正要求(2019/7/20朝日新聞)
 米国との緊張が高まる中、イランのザリフ外相は18日、ニューヨークの国連本部でグテーレス事務総長と会談した。イラン外交筋によると、ザリフ氏やイラン代表部の外交官がビザを発給する米国から厳しい移動制限を受けているといい、是正を求めたという。
 ザリフ氏は14〜19日にニューヨークに滞在。だが、マンハッタン島内では、国連本部とイラン代表部、大使公邸の3カ所の間しか動けないよう米国から求められた。ロイター通信によると、この制限は12日からイラン代表部の外交官や家族にも適用されている。
・・・ 一方、ポンペオ米国務長官はワシントン・ポスト紙の取材に「米国の外交官は(イランの首都の)テヘランを歩き回らない。イランの外交官もニューヨークを自由に歩く理由は見いだせない」と正当性を主張。ザリフ氏については「悪意に満ちたプロパガンダを広めるために米国の自由さを利用している」と語った。
 米国は国連との合意のもと、外交官に国連本部への出入りを許可するビザの発給義務を負っている。国連のハク副報道官は18日までに会見で、複数回にわたり「憂慮している」と表明。米イラン双方と連絡を取っており、米国には懸念を伝えたという。
https://digital.asahi.com/articles/ASM7M3JGRM7MUHBI015.html?iref=comtop_list_int_n04



東電、福島第二廃炉を月内にも正式決定 福島県に伝達へ(2019/7/20朝日新聞)
 福島第二原発(福島県)の全4基について、東京電力ホールディングス(HD)が月内に開く取締役会で廃炉を正式に決める見通しであることが分かった。小早川智明社長が福島県庁を訪れ、方針を伝える。
 福島第二をめぐっては、小早川社長が昨年6月に福島県の内堀雅雄知事に、「廃炉の方向で具体的な検討に入りたい」と伝えていた。その後、具体的な廃炉工程などを検討してきた。
 福島第二の4基は1982〜87年に運転を開始。いずれも運転開始から30年をすぎ、原則的な運転期間の40年に近づいていた。再稼働に必要な安全対策などの工事には、数千億円規模の追加投資が必要だった。
 東電は4基の廃炉費用を計約2800億円と見込む。廃炉になれば、東電の原発は柏崎刈羽原発(新潟県)の7基と、建設中の東通原発(青森県)だけとなる。
https://digital.asahi.com/articles/ASM7M778PM7MULFA03P.html?iref=comtop_list_biz_n01



(声)語りつぐ戦争 被爆した「南方特別留学生」(2019/7/20朝日新聞) 無職 挟間敏子(広島県 82)
 4月に全面リニューアルした広島平和記念資料館(原爆資料館)を先日訪れ、1枚の見覚えのある写真に釘付けになった。現在のマレーシア出身のアブドゥル・ラザクさん。広島文理科大学(現広島大)の「南方特別留学生」だった。1945年8月6日の広島原爆投下時は20歳。被爆したが生き残られた。被爆死したお仲間の名前が説明文にあった。

 私は小学2年の時、この方々と同じ屋根の下、大学の留学生寮で暮らしていた。前年に父が病死し、母は寮の炊事婦として住み込み、私と4歳上の姉との3人暮らし。お国の歌を教わるなど可愛がってもらった留学生のことを忘れない。亡母のアルバムにラザクさんの写真もあった。

 45年4月、私は山口県の親戚宅へ疎開。母も7月に山口へ移り助かった。女学生の姉は学徒動員で広島に残り被爆死。遺骨も見つからない。

 南方特別留学生とは何か、大人になって知った。日本が占領下の国々で親日指導者を育てるため有力者の子らを集めた国費留学生だ。帰郷したラザクさんは大学講師に。被爆体験を語り、何度か来日。2013年に広島大から名誉博士号を授与され、その後亡くなったと最近知った。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14104427.html?ref=pcviewpage



(声)語りつぐ戦争 母の心に生きていた28歳の兄(2019/7/20朝日新聞) 無職 島田龍太(奈良県 61)
 91歳で先日亡くなった母には12歳年上の兄がいた。私の伯父だ。32年、神奈川県の横須賀海軍航空隊に少年飛行兵(後の飛行予科練習生、予科練)として入隊。妹である母を可愛がり、郷里の和歌山に帰った時はデパートに連れて行き、洋服や帽子、靴を買ってくれたという。

 44年11月、南洋の米軍基地発のB29が東京に現れて以来、伯父は偵察機「彩雲(さいうん)」で米軍基地を偵察し、写真撮影を行う任務についた。米軍機との遭遇を避けてかなりの高度をたびたび飛行し、機内の温度は氷点下という酷寒の任務だったようだ。

 その頃、突然、伯父が郷里に帰ってきたことを母は鮮明に記憶していた。それが最後の別れとなった。45年4月、沖縄戦が激しくなる中、伯父は石垣島方面の偵察に単機で飛び立ち、「敵飛行機見ユ」と打電を残し、戦死。28歳、幼子2人を残して。

 晩年の母は認知症だった。ある夜、母が天井を見つめ、「知った人が大勢迎えに来た。兄さんが皆をにらんで追い返している」と言った。やがて正気に戻った母は「兄さん、無念だったろうに。生きたかったろうに」と泣いた。74年過ぎてなお、母の心に28歳の兄は生きていた。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14104428.html?ref=pcviewpage


(声)語りつぐ戦争 基地と隣り合わせの恐怖感じた(2019/7/20朝日新聞) 高校生 小林優祈(東京都 17)
 修学旅行で沖縄に行った。たくさんの自然、文化に触れると同時に、道端に基地移設反対のポスターが並び、空を見上げればガイドさんの声をかき消す爆音をたてて米軍機が飛ぶ様子を目の当たりにした。

 沖縄を訪れる前は、基地移設の何が問題なのか、普天間の危険が除去されるならよいのではないか、と安易に考えていた。だが実際は、高台から見える広大な米軍基地、それから無数の戦闘機に圧倒され、これらと隣り合わせで毎日過ごすことを思うと、心の底から恐怖を感じた。

 その不安と負担は現地に住んでいる人、そして実際に訪れた人にしかわからないものだと思う。「唯一の解決策」だからと、県民の反対を押し切ってまで基地移設を強行する理由は何だろう。

 沖縄返還から47年。このことを考えている国民はどのくらいいるのだろう。時がたつにつれて忘れられ、他人事(ひとごと)になってしまっていいのだろうか。私たち若者が政治に興味を持ち、沖縄県民の心に寄り添って考えるべきだ。沖縄の方々が安心して過ごせる未来を信じて、私も「声」を上げる。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14104429.html?ref=pcviewpage



(声)語りつぐ戦争 弟の死、戦地の父に言えぬ母(2019/7/20朝日新聞) 無職 益池雅子(大阪府 81)
 40年冬、大阪に身重の母を残して陸軍歩兵の父は中国へ出征。年末に双子の男児が生まれ、戦時中らしく武(たけし)、勇(いさむ)と名付けられました。母は私たち3人の身長を測り、糸に印を付けて成長記録として戦場の父に送っていました。

 43年9月、武が「母ちゃん、しんどい」と言い、ひどい熱です。往診の医師からは水を飲まさぬようにとの指示。でも、弟は水を欲しがりました。「お水は今ないの」と言うと、水枕を揺すり「ここにある」。翌朝、弟の顔に白い布がかぶせられました。5歳の私は「死」が分かりませんでした。

 物資不足で棺(ひつぎ)がなく、リンゴの木箱に座布団を敷いて弟を納め、リヤカーで斎場へ。荼毘(だび)に付しました。正式の骨つぼもなく、ふた付きの陶器を代用としました。

 男児を「産めよ増やせよ」の時代。母は武を亡くしたと戦場の父に言えず、以後、弟が生きているかのようにしるした偽りの糸を送り続けました。父は46年復員。母がどんな思いで父に接したか。胸中を思うと今も私は涙します。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14104431.html?ref=pcviewpage



(社説)参院選 憲法の論戦 議論か否かの強引さ(2019/7/20朝日新聞)
 「憲法について議論をする政党を選ぶのか、しない政党を選ぶのか。それを決める選挙だ」
 安倍首相は党首討論会や街頭演説でこう繰り返している。議論が国会議員の大事な仕事であるのは間違いないが、首相のこの論法をそのまま受け入れることはできない。
 この1年あまり、衆参両院の憲法審査会で自民党の改憲案を説明する機会が得られなかったことを首相は問題視している。
 だが、公明党の山口那津男代表が指摘するように、憲法の議論を全く否定している政党はない。憲法審が自民の思い通りに開かれなかったのは事実だが、それは首相が批判するように野党に一方的に責任があるとは言えない。
 首相は自民党総裁選を控えた昨年8月の講演で「いつまでも議論だけを続けるわけにはいかない」と語り、党の改憲案を秋の臨時国会に提出できるよう、党内論議を加速する意向を表明した。9月に総裁3選を果たすと、野党との信頼関係を築いてきた衆院憲法審の筆頭幹事を交代させ、憲法にかかわる党の要職に自らに近い改憲積極派を起用した。
・・・ そもそも「議論するか、しないか」と、声高に叫ぶ資格が首相にあるのか。
 安倍内閣や与党は、野党からの臨時国会召集や予算委員会開催の要求をはねつけてきた。立憲民主党などが衆院に昨年提出した原発ゼロ法案や選択的夫婦別姓を認める民法改正案は、一度も委員会で審議されないままだ。都合の悪い議論を拒んできたのはむしろ政権側である。
・・・ 首相は自衛隊を9条に明記しても活動内容は変わらないという。しかし、野党や識者の間では、自民案の書きぶりでは、安倍政権が9条解釈を変更して認めるようにした集団的自衛権の限定的な行使どころか、全面的な行使に道を開くことになるとの批判が強い。
 この批判に首相はきちんと答えていない。議論の土俵づくりを妨げているのは、むしろ首相自身ではないか。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14104423.html?iref=comtop_shasetsu_01



(声)犠牲の上にある選挙権生かせ(2019/7/19朝日新聞) パート 立石幸子(宮崎県 68)
 21日は参院選の投開票日。だけど東京に住む20代の息子は、まだ投票権を行使したことがないようだ。「ネット投票ならするけど。投票率も上がると思うよ」と言う。

 あなたが先日見舞った祖母には終戦時の1945年、選挙権がなかった。当時は男性のみ。女性は、何百万人の死者が出た戦争の後、初めて選挙権を得たのだ。国政に参加できたことで、「主権は国民にある」と実感できたことだろう。

 私が勤める高齢者ホームの女性利用者も入所前、選挙に行っていたという。戦時中、男性は国のために兵士として命を捨てざるをえず、女性は何の抵抗もできずに夫や息子を戦争に奪われた。その無念さを一票に反映させようとしたのではないか。

 私も政治不信に陥り、誰に入れても同じだと白票を投じたことがある。しかし投票せず、政治を野放しにした結果、政治家に一方的に決められたら、選挙権がなかった時代と変わらなくなってしまう。

 昔、あなたのおばあちゃんは、投票券を握りしめて投票所に行った。90代になっても腰を曲げて、歩いて自分の責任を果たし続けた。息子よ、私たちも選挙に行こう。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14102864.html?ref=pcviewpage


posted by オダック at 16:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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