2019年08月18日

PICKUP NEWS

(声)首相の式典あいさつ、深く失望(2019/8/18朝日新聞) 無職 大窪正宏(神奈川県 74)
 原爆投下から74年。松井一実広島市長は6日、平和記念式典の「平和宣言」で「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい」と言及した。9日は長崎市の田上富久市長が今年も核兵器禁止条約への参加を政府に訴えた。

 だが安倍晋三首相はあいさつで条約について触れなかった。これが、唯一の戦争被爆国である日本の首相の態度かと思うと実に寂しい。昨年は「若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取り組みをしっかりと推し進めてまいります」とあいさつしたが、具体的な成果がさっぱり見えてこない。

 日本政府は核のない世界実現に向けた努力をたゆまず続けてきたのか。今年語った「被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります」をどのようにして進めていくのか、首相の口から聞きたかった。

 来年は被爆75年。「核兵器のない世界の実現」と真に願うのなら、核保有国首脳の出席を得て広島で核兵器廃絶サミットを開催するくらいの姿勢を見せていただきたい。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14143454.html?ref=pcviewpage



(声)「愛の生産性」を高めればいい(2019/8/17朝日新聞) 主婦 藤田有子(福岡県 49)
 先日ある研修会に参加した。性的少数者が暮らしやすい地域社会の実現に向けてのものだ。そこで、自らの性のあり方を他者に伝える「カミングアウト」の困難さを初めて知った。それが大変な勇気を必要とすることも知った。

 それまでは私は「自分は差別しない」と思い込み、LGBTの人たちの側に立っているつもりでいた。実は何も知らないという現実、それも差別の一つではないかと思った。「自身の性のあり方」を探し悩みを抱えている人たちに寄り添いたいと思う。

 同性同士では「生産性がない」という発言が一時話題になった。確かに出生率は高まらないだろうが、「愛の生産性は高まる。愛をたくさん生産している」と、みんなが意識を変えてほしい。多様な性が認められ、やさしい「グラデーション」が描けるといいなと思う。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14142168.html?ref=pcviewpage



(声)タイ、家族の営み続く療養所(2019/8/17朝日新聞) 主婦 松本知恵子(大阪府 60)
 3年前、娘がタイのハンセン病療養所での支援活動に参加し、ハンセン病回復者(元患者)やその家族と交流した。娘は日本国内数カ所の療養所でも活動し、私も一度だけ療養所を見学した。

 娘の話では、タイではハンセン病回復者とその家族が共に村で暮らし、子どもが元気に走り回っていたという。家族の営みがあり、命が途切れずに続いている。日本では親子が引き離され、強制的に親になることを奪われた回復者がいた。幼い子どもがいない静かな日本の療養所とのあまりの違いに、娘はショックを受けたという。私も同じ思いだ。

 高校時代の同和教育の授業で、「何も知らんかったら差別することは無いんやから、同和教育は必要ない」と級友が言っていた。その意見に私も同意していたことを覚えている。でも、今はっきりと言える。真実を知ることにより、そのことに絶えず心を寄せて、関心を持ち続けることはできる。何もできないかもしれないが、知ることが始まりなのだ。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14142165.html?ref=pcviewpage



「個別指導」指摘後も継続 都の一時保護所、罰は否定(2019/8/17東京新聞)
 東京都の一時保護所が、保護した子どもに「個別指導」という名目で罰を与えていると都の第三者委員が批判し、改善を求めていた問題で、都家庭支援課は「罰として行っていた事実はない」と批判を否定した。本紙の取材に対し、子ども二人が「罰としての個別指導があった」と明かしたが、同課は子どもへの聞き取りをしておらず、「個別指導」を続ける方針という。
 都の一時保護所は、規則を破った子らに対し、廊下のついたて内で寝起きさせたり、辞書の書写をさせたりする「個別指導」をしている。第三者委員四人(いずれも弁護士)は三月、私語をした子らに、こうした「個別指導」をすることは、罰でしかなく、「一時保護所の理念にふさわしくない」と批判し、「すぐにでもやめるべきだ」と改善を求めた。
 小池百合子知事は七月の記者会見で、「重く受け止めなければならない」と表明した。家庭支援課の竹中雪与課長は「真摯(しんし)に受け止めたい」と話し、その後、一時保護所の所長に確認をしたが、「罰として指導をしていることはなかった」と言う。
 しかし、本紙の取材に対し、複数の子どもが「私語を理由にした個別指導があった」と明かしている。親から虐待され、今年、都足立児童相談所の一時保護所に入所した女子生徒は「私語を理由に一週間、ついたて内での個別指導を命じられた。完全に罰だった」と話した。
 同じ保護所にいた別の子は、意見書が提出された三月以降も、子ども同士で笑い合ったとして個別指導になるケースがあったと話した。
 足立児相の辰田雄一所長は取材に対し、「私語による個別指導や、一週間という期間はあり得ない」と否定した。辞書などの書写はさせたが「罰ではなく、自分を振り返ってもらうことが目的」と話した。 
<一時保護所> 虐待や非行などの理由で児童相談所に保護された18歳未満の子どもが一時的に生活する施設。家庭で暮らせないと判断されると、子どもを児童養護施設や里親へ委託する。都内には7カ所(定員237人)あり、7月時点の平均入所率は118%。昨年度の1人当たり平均入所日数は42・2日。都の手引では、無断外出や暴力行為など重大な問題を起こした子に、3日程度で個別指導をするが、「絶対に罰として行ってはならない」と規定している。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019081702000147.html



「辺野古ノー」米で訴え VFP総会 「現状と課題の共有を」(2019/8/17琉球新報)
 【スポケーンで大矢英代通信員】元米軍人らでつくる国際平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」の年次総会が現地時間の15日、米西部ワシントン州スポケーンで始まった。開会式に先立ち、沖縄の基地問題を考えるドキュメンタリー上映会が開かれ、米国在住・県系2世の高校生、与那嶺海椰(かいや)さんの作品「我した島ぬ宝(私たちの島の宝)Our Island Treasure」が上映された。

 作品は新基地建設が進む名護市辺野古の現状と、それに反対し続ける県民の姿を描いたもので、与那嶺さんが取材、編集した。動画はインターネット上で公開されている。上映後の質疑応答で、沖縄から駆け付けた平和を求める元軍人の会―琉球・沖縄(VFP―ROCK)のメンバー・真喜志好一さんが登壇し「辺野古新基地はベトナム戦争中に米軍が計画したが予算不足で断念したものだ。現在は日本政府が国民の税金で米国のために建設を進めている」などと現状を訴えた。

 今年の総会のテーマは「環境問題」。地球規模で起きている米軍基地からの汚染や環境破壊をテーマに18日まで開催される。会長のジェリー・コンドンさんは「沖縄でも基地による環境破壊が続いてきたが、これは沖縄だけではなく地球規模で起きている問題だ。みんなで現状と課題を共有し、解決策を話し合いたい」と語った。

 与那嶺さんの作品を見た元米空軍兵のドナルド・キムバールさん(67)は日米軍事同盟が近年ますます強化されていることを懸念し「北朝鮮や中国の脅威が基地建設推進の理由にされているようだが、脅威という言葉自体をまずは疑ってほしい。米国政府が9・11以降、対テロ戦争に突入したように、脅威論は政府に利用されやすい」と指摘した。

 VFPは、1985年に米軍の中米介入に反対する元米軍人たちが発足させた。今年の総会には世界各地から約140支部、約300人が出席している。日本本土からも元自衛隊員らでつくるVFPジャパンのメンバーが参加している。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-973207.html



(声)「要は自分次第」と心に刻んで(2019/8/16朝日新聞) 主婦 大河原佳子(東京都 82)
 看護師だった私は定年近くに耳の大病を患った。手術したが、次第に聞こえが悪くなっていった。

 定年後、福祉事務所の事務員になったが、訪れる人たちは貧困や病気、障害、借金、暴力など様々な苦難を抱え、うつむき低い小声で話す人が多かった。聞き間違いがあってはならない、何度も聞き返せないと懸命に聞き取ろうとするストレスからか、難聴は加速していった。

 私の訴えに担当医は「お年ですからね」としか語らなかった。仕事を続けられないと退職を決意した頃、地域の障害者センターの医師から大きな力をもらった。

 「聞こえないことに甘えてはならない。補聴器の力を借り、相手の表情や口元を見ながら言葉を読みとる集中力を持って下さい。大きくはっきり話してもらい、聞き取れた単語から勘を働かせて推測し、積極的に会話に参加する。要は自分自身の努力ですよ」と。

 いま私の生きる姿勢の基盤となっているのはこの言葉だ。難聴はそれほど重荷になっていない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14140985.html?ref=pcviewpage



(声)「行動で変わる」実感を学校で(2019/8/16朝日新聞) 資格学校講師 樋口良太(千葉県 33)
 7月の参院選の投票率は戦後2番目に低く、朝日新聞の世論調査では、その理由として「投票しても政治は変わらない」が最多だったといいます。中でも18、19歳の投票率は全体を大きく下回っています。

 主権者教育の必要性が叫ばれて久しいですが、18歳になったからといって政治に関心を持つわけでもないでしょう。学校教育の中で、自分が行動すれば身近な生活が変わるという実感を積み重ねていくことが大切であるように思います。

 例えば、修学旅行の行き先はどこにすべきか、制服のデザインをどうすべきかなど、与えられたルールに従うのではなく、子供たち自らが考え、話し合い、決定できる機会を増やしていく。そして、よりよい選択がないか模索する。こうした積み重ねが、「投票しても変わらない」から「行動すれば生活は変わる」という意識につながっていくのではないでしょうか。

 今年4月から、中学校でも道徳が「特別の教科」となりました。「考え、議論する道徳」への転換がうたわれています。自ら考え、行動することで生活が変わるという実感を大切にしていきたいものです。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14140982.html?ref=pcviewpage



(声)森友捜査終結、真実明らかに(2019/8/16朝日新聞) パート 森田千穂(高知県 38)
 森友問題捜査終結の記事(10日)を読んだ。民主主義国家と一応されているこの国はどうなっていくのだろう。不安や不信感とともに、がっかりした。素人ながら、検察が政権に忖度(そんたく)したのではと思えてしまう。

 森友学園に対し理由が不明瞭なまま国有地が値引きして売却され、関連する財務省公文書が改ざん・廃棄された。この事件が発覚した当時、私は3人の子育てに追われ、国家のことより、目の前のオムツ替えや「保活」、睡眠が大事だった。国有地の値引き額も大き過ぎてどこか他人事の感じさえしていた。しかし、必死で働いて得た給与から税金が引かれ、くじ引きで当たったPTA役員をする中で、民主的な決定とは何か、お金を使うとはどういうことか、事件がもたらす意味を考えさせられるようになった。信頼できるものの喪失・傷つきともいえる感覚が湧いてきた。公的機関の意思決定が、一部の人にしか分からない手順で行われているのはおかしい。

 閉じられた組織では「バレなければいい」が加速する可能性がある。国は説明義務を果たすべきで、国民も厳しく目を向けていく必要がある。国会は真実を明らかにしてほしい。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14140981.html?ref=pcviewpage



(声)語りつぐ戦争 終戦の日、13歳の兄が撃たれた(2019/8/15朝日新聞) 無職 土本吉子(福岡県 82)
 1945(昭和20)年8月15日の記憶は「畳をあげ下に隠れろ!」の叫び声から始まる。旧満州(中国東北部)の新京郊外。隣の集落は日本人が皆殺しだと聞いた。終戦も知らず、父はいつも通り出勤し不在。母と17歳の姉、13歳の兄、8歳の私は隣の一家と身を潜め日没を待った。

 暗くなり、体を寄せ合うようにして外に出た。突然、銃声がして伏せた。生温かいものが地面を流れてきて右腕をぬらした。「うわーっ」と大声を上げ大勢が近づいてくる。近くのコーリャン畑に飛び込んだ。

 だが、兄は伏せたまま。私の腕をぬらしたのは、兄が撃たれて流れた血だったのだ。大勢が兄を取り囲むのが見えたが息を潜めているしかない。そのうち豪雨となり群衆は散った。だが、どこから襲われるかわからず兄の元には行けなかった。即死ではなく一人取り残されたと気づいていたら、と思うと胸が詰まる。

 その場を脱出できたのは、見知らぬ中国人男性2人のおかげだ。小部屋に案内し、コーリャン粥(がゆ)までくれた。翌夏、引き揚げ船に乗った。幼い私を守り、私の前では涙を見せなかった母は、その2カ月前に病没。母の戦後は悲しみ一色だったと思う。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14139657.html?ref=pcviewpage



(社説)8・15 戦場の記憶 時を超え、痛みを語り継ぐ(2019/8/15朝日新聞)
 74年前のきょう、日本の降伏で戦争が終わった。
 あの昭和の時代からどれほど時を経ても、惨禍を記憶にとどめ、不戦と平和の誓いを語り継ぐ大切さはかわらない。
 満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。
 そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。
 大東亜共栄圏を掲げた日本は各地の要所を占領した。現地の人を巻き込み、犠牲を強いた。はるか遠くの島や山あいで、それぞれに刻まれた戦争の記憶と戦後がある。その傷痕に目を向けることは、歴史の教訓を学ぶうえで欠かせない。
 激戦の地で証言や資料を残そうという取り組みがある。
 パプアニューギニアの首都中心部から東に50キロ。この奥の密林で、日本軍とオーストラリア軍の激しい攻防があった。「ココダ道の戦い」と呼ばれる。
 現場はいま、観光客に人気の山岳縦走コースだ。近くのソゲリ村のビリー・イバイさん(50)のおじは当時、豪州軍の遺体や傷病兵、銃弾を運ばされた。
 「戦争を実体験した世代は消えていく。体験は共有できなくとも、気持ちを寄り添わせることはできる」

 ■語られなかった苦悩
 豪州が委任統治していたニューブリテン島(現パプアニューギニア)のラバウルを攻めた日本軍は1942年、2千メートルを超す山々を貫くココダ道を進み、豪州軍と衝突した。
 犠牲者は豪州側が600人以上、日本側が数千人以上とされる。だが、突然、戦場となった現地の人々の恐怖や苦悩はあまり語られてこなかった。
 75年の節目である2年前、イバイさんら70人超が協力して証言集ができた。昨年末には首都の国立博物館に、証言をビデオで見られる場所もできた。
 この事業を主導した同館学芸員のグレゴリー・バブリスさん(32)は言う。「私たちニューギニアは単なる戦闘の背景。豪州の歴史書には名前もない『コックの少年』『洗濯女』として登場するだけだった。その声を代弁したいのです
 同じような動きは、インド北東部のインパールでもある。
 「レッドヒル」。地元の人がそう呼ぶ丘が郊外にある。日本兵らの血で染まったことが由来だ。そのふもとにこの6月、地元の観光協会が、日本財団の協力で平和資料館を開いた。
 補給が不十分なまま無理な突撃を続けた44年のインパール作戦で死亡した日本兵は、3万人超にのぼる。一方で現地の人が強いられた犠牲をどれだけの日本人が知っているだろうか。
 館内には鉄かぶとや水筒など日英両軍の遺品だけでなく、巻き込まれた237人の犠牲者名簿も展示されている。

 ■我がことと考える
 インパールに住むチャンドラ・サキさん(85)は当時を鮮明に覚えている。
 朝、約10機の日本軍の飛行機が、爆音とともに激しい空襲を始めた。父と一緒に地面に伏せた。何も持たず別の村に逃げ、1年半後に戻ったが家はなく、英軍の拠点となっていた。腹をすかし、村を転々とした。
 「戦争は家を奪い、命を奪う。この体験を資料館が次世代に伝えて欲しい」と話す。
 開館前、地元の設立委員の人たちは日本を訪れ、沖縄の南風原文化センターとひめゆり平和祈念資料館を見学した。のどかな町や村など広域が熾烈(しれつ)な戦場となり、故郷が破壊された沖縄。その史実はインパールに通じる、と感じたという。
 ひめゆり資料館は今年、開館30周年を迎え、新たな課題に直面している。最近、来館者の感想に「ぴんとこない」との言葉があった。戦争が遠い昔の出来事に思われていると、館長の普天間朝佳さん(59)は言う。
 99年度に100万人超だった入館者数は18年度は約53万人まで減った。修学旅行も減少傾向にある。その流れを変えたいと、来夏に「さらに、戦争から遠くなった世代に向けて」というテーマでリニューアルする。
 ひめゆり学徒は沖縄戦で陸軍病院に動員された地元の女学生計222人で、うち123人が戦争で亡くなった。
 展示の刷新のかぎは「共感」。戦争前の学校生活での笑顔や表情豊かな写真を使い、身近に感じてもらう。中高生らに、学徒が同じ世代で楽しい学校生活があったことを訴えかける。

 ■戦後世代の責任
 大切なのは、踏みつけられた人、弱い立場の人の痛みを知ることではないか。
 自分の国の暗い歴史や他人の苦しみを知り、思いをはせるのは簡単ではない。だが、今の世代が先人らの心情を受け止め、戦争の愚かさを伝え、未来を切り開かねばならない。
 過去を反省することは後ろ向きの行為ではない。未来に向けての責任である。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14139655.html?iref=comtop_shasetsu_01



<社説>終戦74年 惨禍の記憶を継承したい(2019/8/15琉球新報)
 終戦から74年を迎えた。戦争の悲劇を改めて心に刻み、不戦の誓いを新たにしたい。惨禍の記憶は決して風化させてはならない。

 日中戦争から敗戦までの日本人の戦没者は310万人に上る。このうち約230万人は軍人・軍属等だ。
 沖縄では、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。帝国陸海軍作戦計画大綱(1945年1月)は沖縄を皇土防衛の「前縁」と位置付け、敵が上陸した場合、極力敵の出血消耗を図ると明記している。本土を守るための捨て石にされたのである。
 沖縄戦は凄惨を極め、日米合わせて20万人余が命を落とした。一般住民と現地召集などを含めた県人の犠牲者は12万2千人余に達する。住民の死者が際立って多い。
 日本軍は、住民の食料を奪ったり、避難していた壕から追い出したりした。スパイの嫌疑をかけられるなどして虐殺された人も多い。
 沖縄に配備された第32軍の「球軍会報」は、軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁じ、「沖縄語」で談話をする者は間諜(かんちょう)(スパイ)とみなし処分すると記している。
 「軍隊は住民を守らない」という事実は、未曽有の犠牲から得た教訓だ。
 このような惨劇を二度と繰り返してはならない。そのためには、日本がこの先もずっと、平和国家の道を歩み続けることが不可欠だ。
 ところが、近年の状況を見ると、無謀な戦争によって国が滅びかけたことさえ忘れてしまったようにも映る。
 安倍晋三政権は2014年、憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認すると閣議決定した。翌15年には自衛隊の海外活動を地球規模に広げる安全保障関連法を成立させている。戦争や紛争に国民を巻き込む危険を増大させる政策だ。
 集団的自衛権の行使は憲法上許されない、というのが一貫した政府の解釈だった。本来、一政権による閣議決定で覆せるほど軽いものではない。安保関連法自体、違憲の疑いが強い。
 安倍首相が意欲を示すのが憲法改正である。自民党は改正の条文イメージとして「自衛隊の明記」「緊急事態対応」など4項目を提示している。自衛隊の明記は、平和憲法の根幹である9条を事実上、死文化させる恐れがある。
 憲法の基本原理である「平和主義」は、多大な犠牲を出した大戦への反省から生まれたものだ。平和主義の精神を具体的に規定した9条を変える必然性は全くない。
 戦争がもたらした不幸を忘れ去ることはできないし、忘れてはならない。同時に、災いをもたらした国の仕組みや手法についても理解を深め、同じ過ちを繰り返さないように、目を光らせる必要がある。
 先の大戦から得られた反省と教訓をいま一度、思い起こしたい。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-971923.html


posted by オダック at 09:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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