2020年03月22日

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(社説)森友問題 真実知りたいに応えよ(2020/3/20朝日新聞)
 意に反する不正行為を強いられ、公務員としての矜持(きょうじ)も砕かれた。その無念はいかばかりであったか。いまだ解明されていない森友問題の真相に迫る新たな動きにつなげねばならない。
 森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざんに加担させられ、自ら命を絶った近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)の妻が、国と当時の理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)氏に損害賠償を求める訴えを起こした。
 弁護団が公表した赤木さんの手記には、本省主導で公文書が改ざんされていく過程が、関係者の実名入りで詳細に記されていた。すべてが佐川氏の「指示」であるのに、近畿財務局に責めを負わせようとする財務官僚の無責任体質への怒りもつづられていた。
 麻生財務相はきのうの記者会見で、18年に財務省が公表した調査報告書と手記の内容に「大きな乖離(かいり)」はないとして、再調査を行う考えはないと述べた。報告書では、佐川氏が改ざんの「方向性を決定づけた」と認定しているが、具体的な指示があったのか、佐川氏の一存だったのかなど、肝心な点ははっきりしていない。
 そもそも、第三者が入らぬ財務省の内部調査である。首相官邸や森友学園の名誉校長だった安倍首相の妻の昭恵氏らからは話も聞いていない。そして、この問題の核心である国有地の大幅値引きについては端(はな)から何も調べていない。全容解明に程遠い報告書を盾に、再調査を拒むのは不誠実極まりない。
・・・ 「(国有地売却に)私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」。改ざんは首相がこう言い切った国会答弁の後に始まった。首相は手記をどう受け止めるのか。国会できのう「胸が痛む」としながらも、事実関係は麻生氏の下で徹底的に解明されているとの認識を示した。この問題をもう終わったことにしたいのだろう。
 赤木さんの妻が公表したコメントにはこうある。「夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が誰のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたのか、真実を知りたい」。この切実な声に応えずして、首相への信頼回復はない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14409568.html?iref=comtop_shasetsu_01



【社説】森友文書で提訴 改ざんの闇に迫らねば(2020/3/20東京新聞)
 「森友学園」問題の闇はあまりに深い。文書改ざんを強要され自殺した財務省職員の生々しい手記が明るみに出た。妻が起こした訴訟で改ざんの実態や国有地売却の真相に迫らねばならない。
 「元はすべて佐川(宣寿(のぶひさ))理財局長の指示です。パワハラで有名な佐川氏の指示には誰も背けないのです」−そんな言葉がつづられた手記や遺書を近畿財務局職員だった赤木俊夫さん=当時(54)=の妻が公表した。
 二〇一七年二月に国会で国有地売却の疑惑を追及された安倍晋三首相が「私や妻が関係していれば首相も議員も辞める」と答弁した。赤木さんが公文書の改ざんを始めるのは、ちょうどその後だ。
 手記には「学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するように指示があった」とある。国会で佐川氏が「(議員らからの)不当な働き掛けは一切なかった」と答弁した二日後だった。
 「こんな事をする必要はない」と上司に涙ながらに訴え「相当抵抗した」ものの、上席国有財産管理官だった赤木さんは決裁文書から安倍昭恵首相夫人や政治家らの関与を示す部分を削除する作業を強制されたのだ。
 国会が会計検査院に検査を要請した際には「検査院に資料を示さないよう本省から指示があった」とも。上司からは「元の調書が書き過ぎているんだよ」とも言われたと記されている。
 「森友事案はうそにうそを塗り重ねるという、あり得ない対応を本省が引き起こしたのです」とも。「最後はしっぽ切り」との言葉は何とも痛々しい。
 うつ病を発症し、一八年三月に赤木さんは自殺。同省は決裁文書の改ざんを認め、二十人を処分したものの、検察は佐川氏ら三十八人全員を不起訴とし、闇が残ってしまった。それゆえ妻は「本当のことを知りたい」と佐川氏と国に約一億一千万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴したのだ。
 究明不足だったのは明らかだ。それでも財務省は「新事実はなく、再調査しない」と国会答弁した。「決着済み」などという不誠実な態度を許してはなるまい。検証チームをつくった野党は徹底的に真相に迫ってほしい。
 もともと八億円の値引きという、ありえない国有地の取引が発端だった。新設の小学校の名誉校長は安倍首相夫人。もう一度、会計検査院などが不自然な経緯を洗い直すのも当然である。調査再スタートの契機とすべきだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020032002000170.html



森友再調査 首相拒否 職員遺族提訴「検察が既に結果」(2020/3/20東京新聞)
 安倍晋三首相は十九日の参院総務委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却問題を巡り、自殺した財務省近畿財務局の男性職員の妻が国を提訴したことを受け「検察が既に捜査を行い、結果が出ている。麻生太郎財務相の下で事実関係を徹底的に調査し、明らかにした」と野党側が求めた再調査を拒否した。
 首相は財務省による決裁文書改ざんを重ねて陳謝。男性職員が残した手記を読んだことを明らかにし「痛ましい出来事で本当に胸が痛む」と話した。国民民主党の森本真治氏への答弁。
 麻生氏は記者会見で、改ざんに関し「経緯は調査報告書で明らかにした。それに尽きる」と再調査を否定した。「手記と報告書で(事実関係に)大きな乖離(かいり)はない」と述べた。
 これに対し、立憲民主党などの野党は森友問題再検証チームの初会合を国会内で開いた。男性職員の手記と財務省の調査報告書の記述との違いに関し、同省担当者を追及した。
 手記には決裁文書改ざんは「すべて(当時の)佐川理財局長の指示」と記されていた。財務省報告書は佐川氏が「方向性を決定付けた」としながら、指示の有無を明記していなかった。・・・
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202003/CK2020032002000151.html



<311メディアネット>毎日放送 大阪市西淀川区佃地域 合言葉「一人も見逃さない」(2020/3/20東京新聞)
 大阪市西淀川区佃地域は、川の中州。四方を川に囲まれた島に、一万七千人が暮らす。国道2号と43号、そして阪神電鉄が地域を横切り、かつては阪神工業地帯の中核を形成した。海抜ゼロメートル地帯ということで、これまで何度も風水害の被害にあっている。自然災害で橋が通行できなくなれば、地域は孤立する。
 防災意識が高まるきっかけになったのは、一九九五年の阪神・淡路大震災だった。北東部の佃一丁目と二丁目では、土地が液状化して半壊などの被害を受けた住宅も多く、長期間にわたり断水が続いた。一方、同じ町内の四丁目や五丁目では、すぐにライフラインが復旧。それなのに情報は共有されず、助け合うことができなかった。「佃地域が一体になって、防災に取り組む必要を感じた」と、佃地域活動協議会の平田房夫会長(77)は語る。「佃はひとつ」というスローガンは、この教訓から生まれた。
 まず、災害時の住民の役割分担と連絡系統を決め、防災組織の表をつくった。次に取り組んだのが、津波避難ビルの確保だ。大阪市よりも先に、町会が主体となって、民間のビルと覚書を交わし、津波発生時に近隣住民を受け入れてもらえるようにした。地域の防災マップに掲載された避難ビルは十五カ所ある。そのひとつである「佃公園スカイハイツ」には、マンションの裏側の一戸建て住宅の住民が災害時にスムーズに入れるよう、非常口を設置した。
 六十五歳以上の高齢者には、地域行事や健康情報などを知らせる「お節介(せっかい)通信」を毎月発行し、見守り担当者が手渡しで配布する。「一人も見逃さない」が地域の合言葉だ。課題は住民の高齢化で、「今年は中学校と一緒に避難訓練をしたい」と平田会長。阪神・淡路大震災から始まった地域防災の取り組みは、進化を続けている。
 南海トラフ地震で最大五メートルの浸水被害が想定されている佃地域に、高台はない。川を渡って他地域に避難するのも現実的ではない。橋が通行不能になる可能性もあるからだ。「津波避難ビル」への垂直避難で命を守り、数日間は地域内の助け合いで乗り切る。
<記者の視点>  高齢者向けに発行される「お節介通信」には、ふれあい喫茶や運動会など地域行事の情報に加え、「もうすぐ春ですね」「寒いから体に気をつけて」など、たわいもない言葉が並ぶ。この小さなお節介の積み重ねが、災害時の助け合いにつながり、命を守るのだと思う。 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/202003/CK2020031802000177.html



(声)不安伝染、ウイルス同様怖いかも 高校生 小幡なるみ(茨城県 16)(2020/3/19朝日新聞)
 ニュースの話題は新型コロナウイルスばかりで、人々の不安は絶えない。こんな状況の中、私たちをもっと不安に陥れるうわさがネット上で流れた。「トイレットペーパーが品薄になる」。この一言から世の中が変わった。
 家のトイレットペーパーがなくなりそうになり、母に頼まれて近くのスーパーへ行った。そこにトイレットペーパーが1袋だけ残っていた。手に取ろうとした時、向かいから猛ダッシュで来た中年の女性にその最後の袋を持っていかれた。女性はうれしそうに友人のところへ行き、トイレットペーパーを手にしたことを自慢した。
 この瞬間、私はとても悲しく、情けなく感じてしまった。不安を消すためだけに買う人もいる一方で、すでに買い置きがないなどで困っている人もいる。元はと言えば、このうわさはわずかな人物から始まり、SNSなどで情報が恐怖心となって伝染し、人のあり方をも変えてしまった。世界中に感染が広がった新型コロナウイルスと同じくらい怖い、と感じた。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408039.html?iref=mor_articlelink06



(声)40歳以上の研究者に救済の手を 大学非常勤講師 岡田一郎(千葉県 46)(2020/3/19朝日新聞)
 2月20日付の記事「大学の若手教員 どう増やす」を読みました。政府は40歳未満の若手の割合を2016年度の23・4%から25年度までに30%以上へ増やす予定で、運営費交付金を若手の割合に応じて傾斜配分することが見込まれる、とありました。
 現在、優れた実績がありながら大学の常勤ポストに就けず、非常勤講師職などでなんとか生活している40歳以上の研究者が多くいます。常勤ポストがむしろ減らされている中、国の後先を考えない博士号取得者増加政策のために競争が激化し、常勤ポストを得る機会を逸したまま40歳を迎えた人々なのです。
 国は、彼らが若手の時は何ら救済せず、今になって「大学の若手教員が減っているので40歳未満優先」だなんて。こんな不平等で理不尽な政策であっていいわけがありません。
 若手教員の割合を増やすことはもちろん大事です。しかし同時に国は、十分な実績をあげながら、不運にも今まで常勤ポストを得ることができなかった40歳以上の研究者の雇用を増やす努力も行うべきです。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408038.html?iref=mor_articlelink05



(声)平和のバトン 祖母の東京大空襲、伝える 高校教員 上條由貴(東京都 29)(2020/3/19朝日新聞)
 昨年、祖母が亡くなった。100歳だった。去る3月10日、東京大空襲の日、祖母から聞いた話を思い出した。戦時中、祖父は海軍へ徴兵され、祖母は幼かった伯父と一緒に、東京の下町で暮らしていた。
 東京大空襲では火の海の中、伯父を背負って逃げ回ったそうだ。「タクシーに焼夷(しょうい)弾が当たり、黒こげの人がハンドルを握っていた」「防空壕(ごう)に入れと言われたが、胸騒ぎがして入らなかった。直後に焼夷弾が壕の中に落ち、全員死んでしまった」……。幼い頃に聞いた祖母の話は、本当に恐ろしかった。
 戦争が終わった時、祖母は「やっとぐっすり眠れる」と安堵(あんど)したそうだ。空襲警報は夜中に鳴ることが多く、もうこのまま死んでもいいかな、と何度も思ったそうだ。もし戦中に亡くなっていたら、父や私はいない。
 毎年この日に、東京で起きた悲劇を学校で教えている。「3月10日は何の日?」と聞くと、生徒は首をかしげる。沖縄戦や広島・長崎への原爆投下は知っていても、東京大空襲を知る生徒は少ない。今年は休校となってできなかったが、今後も伝えたい。過去から学び、未来に生かすのは、私たち若い世代の役目だ。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408036.html?iref=mor_articlelink03



(社説)原発事故賠償 基準見直し東電動かせ(2020/3/19朝日新聞)
 福島第一原発事故をめぐる東京電力の賠償は不十分だとする判決を、仙台と東京の二つの高裁が続けて言い渡した。事故によって避難を余儀なくされた人々が起こした集団訴訟は約30件ある。さきがけとなった両高裁が、そろって今の賠償のあり方に疑義を呈した意義は大きい。
 裁判で被災者側は、避難指示が解除されても、かつて暮らした地域に戻るのは簡単ではないし、戻っても、まちや地域社会は全く違うものになってしまっていると訴えていた。
 いずれの高裁も、被災者たちが「ふるさとの喪失・変容」と呼ぶこうした被害の深刻さを認め、避難を強いられたことや、その後の生活に伴う精神的苦痛とは別に償われるべきだと判断。支払い済みの金額に上乗せして慰謝料を認めた。
 東電は、政府内に置かれた原子力損害賠償紛争審査会が定めた指針にこだわり、それを上回る一律の支払いをかたくなに拒んでいる。簡易な手続きによる損害回復をめざして設けられた「原子力損害賠償紛争解決センター」が、集団申し立てを受けて和解案を示しても、相次いで拒否。さらには、審理を重ねたうえで福島地裁がした和解勧告まではねつけた例もある。
 受け入れれば全体に影響が及び、賠償総額が膨らんでしまうとの危惧があるのは明らかだ。しかし東電は、事故後に「3つの誓い」として▽最後の一人まで賠償貫徹▽迅速かつきめ細やかな賠償の徹底▽和解仲介案の尊重――を宣言している。
 この誓いを踏まえ、両高裁の指摘を真摯(しんし)に受け止めて行動するのが、未曽有の事故を起こした企業の当然の務めだ。国策として原発を推進し、東電の実質的な大株主である国にも、厳しく指導する責任がある。
 二つの判決は指針の不備も浮き彫りにした。事故直後に作られ、何度か改定されたものの、原発事故の実相に対応できていない面があるのは明らかだ。「ふるさとの喪失・変容」は、事故から9年という時が流れたからこそ、はっきり見えてきた被害といえる。それが人々にどんな影響をもたらしているか。議論を深め、指針の見直しに着手するときではないか。・・・
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14408035.html?iref=mor_articlelink02



地下鉄サリン25年 オウムとの闘い後世へ 旧上九一色村の住人ら「監視日誌」保存(2020/3/19東京新聞)
 十三人が死亡、六千人以上が重軽傷を負った地下鉄サリン事件から二十日で二十五年。オウム真理教の拠点施設「サティアン」があった山梨県旧上九一色(かみくいしき)村(現甲府市・富士河口湖町)で、住民が教団との闘争の歴史を保存しようと動き始めている。教団対策委員長を務めた江川透さん(83)は「地下鉄サリン事件を起こしたオウムが確かにこの地にいたという事実を残したい。闘いの軌跡や止められなかった反省もひっくるめて」と思いを語る。 
 平成三(一九九一)年七月十三日、天候はれ 14・55 ベンツ来て事務所のところまでバックする。麻原か?
 対策委のメンバー二十人が、同年から一年数カ月にわたり二十四時間態勢で記録した「監視日誌」。茶色い染みが付いたファイルが過ぎた年月を物語る。
 教団が高さ約三メートルの鉄壁の奥でサティアン建設を進める中、住民は高台のプレハブ小屋から見張った。江川さんは稼業の酪農で夜間に牛の搾乳をする妻と昼夜交代で監視に当たった。
 監視活動に教団以外からも「宗教弾圧じゃないか」との批判もあったが、抗議や工事の差し止め訴訟を続け、「危険な集団」の暴走を止めようと闘った。
 九五年三月二十日、自宅で地下鉄サリン事件のニュースを見た時、「オウムがやったな」と直感した。サリンは過去に異臭騒ぎが起きた「第七サティアン」辺りで製造したと思った。残念ながらその通りだった。
 教団との闘いの記録を残そうと、江川さんらは今月、地元の公民館の一室に雑然と置かれていた監視日誌や第七サティアンにあったガスマスク、ホーリーネーム(信者の教団内の名前)が書かれたヘルメットなど千点以上を、新たに購入した専用ロッカーに保管した。今後、資料に目録を付けて管理する。
・・・ 地下鉄サリン事件からもうすぐ四半世紀。富士山麓に広がる旧上九一色村にはのどかな空気が流れ、教団がいた当時の面影はない。「教団さえいなければ、もっと酪農や観光で栄えた。無駄に時が失われた」と江川さんはつぶやき、こう訴えた。「まだ後継団体の信者は残っている。二度と同じような事件を繰り返させてはだめだ」
<旧上九一色村とオウム真理教> 山梨県旧上九一色村(現甲府市・富士河口湖町)では、1989(平成元)年からオウム真理教が教団施設「サティアン」の建設を開始。第1〜第12サティアンや医療棟、礼拝堂など30棟以上で信者らが共同生活や修行をした。94年の松本サリン事件や95年の地下鉄サリン事件で使用されたサリンは、第7サティアンがあった「第3上九」と呼ばれる地域で実験、製造。同3月、警視庁が強制捜査に入り、多数の幹部らを逮捕。同5月、第6サティアン内の隠し部屋に潜んでいた元代表の麻原彰晃(しょうこう)元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=を逮捕した。98年までに全てのサティアンが閉鎖され、取り壊された。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202003/CK2020031802000276.html



「内閣吹っ飛ぶ」森友文書改ざんで職員 遺書は震える字(2020/3/18朝日新聞)
 「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」。2年前、公文書の改ざんを強いられた、とする手記と遺書を残して財務省近畿財務局の職員が自殺した。なぜ夫は死ななければならなかったのか――。妻は、すべてが法廷で明らかになることを願う。
公私ともに充実 暗転したあの日
 「責任をどう取るか、ずっと考えてきました。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありません」
 弁護団は提訴に合わせて、赤木俊夫さん(当時54)の手記や遺書を報道陣に公開した。手記は、自宅のパソコンに残されたA4サイズ7枚と手書きのメモ2枚。3通が残されていた手書きの遺書には、震えるような字がつづられていた。
 訴状などによると、赤木さんは明るく社交的な性格で、書道や落語、美術鑑賞などを楽しむ生活を送っていた。誠実な努力家でもあり、誇りを持って仕事に取り組んでいたという。
 夫婦仲も良く、公私ともに充実した日々。しかし2017年2月26日の日曜日、その生活が暗転した。
 赤木さんが休日で妻と義母の3人で公園を訪れていた時、上司から「登庁してほしい」と連絡が入った。「上司が困っているから助けに行くわ」。出勤した赤木さんを待っていたのが、改ざんの指示だった。
 「内閣が吹っ飛ぶようなことを命じられた」「私は相当抵抗しました」。手記などから、赤木さんが必死に不正にあらがった様子が浮かぶ。それでも最後は押し切られ、改ざんに手を染めざるを得なかった。
消えた笑顔「僕は犯罪者や」
 改ざんを重ねるうちに、明るかった赤木さんから笑顔が消えてふさぎ込むように。同年7月、うつ病と診断され、仕事に行けなくなった。同年12月に大阪地検から電話で事情を聴かれると、病状は急速に悪化していった。自宅でも「玄関の外に検察がいる」「僕は犯罪者や」などと繰り返し、周囲に自殺願望を語るようになった。そして18年3月、赤木さんは命を絶った。
 弁護団によると、妻は当時のことを「体の半分がちぎれて無くなったようだ」と語ったという。しかし、その後も国側の対応に苦しめられた。弁護士を通じて佐川宣寿(のぶひさ)・元同省理財局長に経緯の説明と謝罪を求めたが、面会は実現しなかった。公務災害とは認定されたが、開示された資料は大半が黒塗りでその理由もわからなかった。
 弁護団の生越(おごし)照幸弁護士は会見で、妻の心情をこう代弁した。「手を尽くしても、知りたかったことが何もわからない。ご遺族にとって残された道は訴訟しかなかった」
妻「佐川さん、本当のこと話して」
 自殺した財務省近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)の妻は、弁護団を通じて次のようにコメントした。
 (財務省近畿財務局の職員だった)夫が亡くなって2年が経ちました。あの時どうやったら助けることができたのか。いくら考えても私には助ける方法がまだ見つかりません。
 心のつかえが取れないままで夫が死を決意した本当のところを知りたいと思っています。
 夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が誰のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたのか、真実を知りたいです。
 今でも近畿財務局の中では話す機会を奪われ苦しんでいる人がいます。本当のことを話せる環境を財務省と近畿財務局には作っていただき、この裁判ですべてを明らかにしてほしいです。そのためには、まず佐川さん(佐川宣寿・元同省理財局長)が話さなければならないと思います。今でも夫のように苦しんでる人を助けるためにも、どうか佐川さん、改ざんの経緯を本当のことを話してください。よろしくお願いします。・・・・・
https://digital.asahi.com/articles/ASN3L6HX4N3LPTIL01F.html?iref=comtop_8_02



(社説)関電の経営陣 統治の根幹が問われる(2020/3/18朝日新聞)
 経営悪化の責任としてカットしたはずの役員報酬を、会社がこっそり補填(ほてん)する。福井県高浜町の元助役(故人)から多額の金品を受け取り、追加納税することになった元役員らには、その分の穴埋めをする――。
 関西電力でまたも驚くべき事実が明らかになった。電気料金値上げを強いられた消費者、そして給与や賞与を減らされた関電従業員への背信であり、社会をあざむく行為である。電力供給を担う公益企業の統治の根幹が厳しく問われている。
 関電は東日本大震災後に原発が止まり、12年3月期に赤字へ転落。直ちに役員報酬のカットを始め、19年6月まで続けた。その間(かん)、電気料金を2度値上げし、社員にも痛みを強いた。
 報酬補填は16年夏に始まり、元助役との関係が表面化した19年秋までに、18人に計2億6千万円が支払われた。同社には役員が退任後も嘱託として残る慣習があり、「月給」の支払いに上乗せした。このからくりは、金品受領問題を調べた第三者委員会の報告書で指摘された。補填は当時の森詳介会長と八木誠社長の2人で決めたという。
 また追加納税分の穴埋めは、それぞれ相談役と会長になっていた両氏と、岩根茂樹前社長=14日に辞任=の3人の協議によるもので、対象とされた4人のうち1人に対し、すでに一部の支払いが済んでいる。
 経営首脳の規範意識のなさ、会社法など各種法令の抜け道を探って企業統治を形骸化させる行いに、言葉を失う。
 そもそも関電は、元助役からの金品受領について2年前に国税当局の指摘を受け、調査をしながら自ら公表しなかった。社内の取締役を集めた「研修会」なる場で概要が伝えられたが、「公表せず」との判断に誰も異議を唱えなかった。
 その研修会に出席していた一人が、今般、副社長から社長に昇格した森本孝氏だ。就任会見で「信頼回復に取り組む」と繰り返したが、人々の胸にどこまで届いたか。旧体制との連続性を優先するような姿勢は、会社そのものの存続を危うくすると肝に銘じるべきだ。
 第三者委の報告で、原発をめぐる関電と元助役との癒着は、当初いわれていた以上に根深いものであることがわかった。関電側は元助役が関係する複数の会社に次々と工事を約束・発注し、法外な接待を重ねる一方で、75人もの役員・社員が金品を受け取っていた。
 刑事告発を受けた検察当局、大阪市を始めとする株主、そして政府、国会。それぞれが与えられている権限に基づき、関電の「闇」を徹底解明する責務を負うことを忘れてはならない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14406560.html?iref=comtop_shasetsu_02



【私説・論説室から】法相は壊れたのか?(2020/3/18東京新聞)
 「東日本大震災のとき、検察官は福島県いわき市から最初に逃げた」−森雅子法相が九日の国会で唐突に述べた言葉が大問題になっている。小西洋之参院議員が東京高検検事長の定年延長問題を追及しているときだった。
 「(定年延長が必要な)社会情勢の変化とは何か」と小西氏が質問したら、答弁が何と「東日本大震災の…」だったのである。まるで意味をなしていない。何かが壊れたのかと思ったほどだ。議場もざわめいた。
 森氏は十二日に首相から厳重注意を受け、記者団におわびを表明し、十三日の国会で謝罪した。だが、野党は「事実と異なる答弁をしたのは極めて遺憾」「更迭するべきだ」などとさらなる追及を続けている。
 壊れてもやむを得まい。無理筋の定年延長、無理筋の法解釈の変更に国会答弁せねばならないのだから。多くの法学者や法律家団体が「違法」と考え、抗議する声明を出している。法律家からすれば、どう考えても「定年延長はできない」のに、首相が「法解釈を変更した」と口にし、法相は「できる」と国会答弁を続けている。
 いつ、なぜ変更したか、それを合理的に説明できなければならない。法相は毎回、論理的にはっきりしない答弁を繰り返すばかりだ。「壊れたテープレコーダー」とも小西氏に評された。もはや法相はかなり追い詰められているのかも。 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2020031802000165.html



(声)平和のバトン 母と叔父、語り継ぎたい涙 無職 中村俊昭(千葉県 74)(2020/3/18朝日新聞)
 忘れられぬ涙が二つある。
 戦後、ラジオで宮城まり子の「ガード下の靴みがき」を聞いていた母が突然泣き出した。小学生だった私はびっくりして、「かーちゃん、なじした(どうした)?」と聞いた。「今、この歌の子らのように両親が死んだら、お前たち7人はどうなるんだろうって考えると……。こんな田舎では靴磨きだって花売りだってできないだろうし」。台湾から引き揚げてきた私たち家族。母は、将来への不安で涙を抑えられなかったようだ。
 一方、叔父は農道で馬車に出あうたび涙した。戦地に残してきた軍馬のことを思うと、涙が出るという。叔父は獣医師として出征。戦争中は「一銭五厘」と言われた兵士より大事にされたという軍馬だが、敗戦とともに軍も正気に戻り、帰還船には兵隊しか乗れず、軍馬は野放しになった。
 馬を見るたび、敗戦の悲哀がよみがえったのだろう。2人の涙は、私にとっては語り継ぐべき戦争の涙である。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14406564.html?iref=mor_articlelink06



(声)事件を生んだ社会を考え続ける 障害者家族会会員 福島健太郎(神奈川県 71)(2020/3/18朝日新聞)
 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害したとして、元職員の植松聖被告に16日、死刑判決が出ました。障害のある娘を持つ父として、なぜこうした犯罪が起きるのか自問してきました。そして何より、逮捕時の笑い顔が気になってなりませんでした。
 報道で彼の考えを知りました。「社会のために善いことをしたのだから自分を認めてほしい」。彼はただそれだけを言い続けているように思いました。彼の考えに同調している人も多いのかもしれません。
 「殺すなかれ」というのは、人間社会が決めた禁忌だったはずです。しかし、それがいかにもろく、崩れやすいものなのか、今回の事件で改めて思い知らされました。
 人間の承認欲求は時として暴力と結びつきます。今回の事件の特異性は「社会のために」と正当化され、実行されたことだと思います。そうである以上、彼に自らの罪責を認めさせることは難しいでしょう。
 私たちにできることは、彼のような考えが生まれる社会を少しでもよい方向に変えていくことです。一人ひとりが考え続けていくよりほかないことだけは確かだと思います。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14406562.html?iref=mor_articlelink04

posted by オダック at 19:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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