2019年07月12日

PICKUP NEWS

(声)何を祈った、苦界の女性たち(2019/7/12朝日新聞) 主婦 伊東敦子(愛知県 84)
 私は豊橋の東田遊郭の近くで育ちました。その遊郭は小学生の頃まであったと記憶します。夏になると七夕のことを思い出します。

 その頃は、8月半ば前後(旧暦7月7日)に行われ、いつも満天の星でした。当時は、どこの家でも七夕飾りをしました。その日は、牛車に山のように積んだ笹(ささ)竹売りが、朝早くから、「竹やー竹、笹竹はいらんかねー」の声を流して、通りを行き交ったものです。

 遊郭の家でも七夕飾りがありました。悲しい思いを心に秘めた遊女たちは、短冊に何を書いたのでしょうか。故郷に思いが残る女性たちです。恋しい思いを、父、母、妹、弟の名に連ねたのでしょうか。あの当時のこと、戦に送りだした恋人の名を切なく書いた女性もいたでしょう。

 こんな悲しい七夕飾りの夜は、二度とないことを祈っています。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14093208.html?ref=pcviewpage



(社説)参院選 辺野古問題 国の横暴、誰が正す(2019/7/12朝日新聞)
 辺野古の海をめぐる沖縄県と政府の対立が、再び法廷に持ちこまれることになった。玉城デニー知事の提訴方針が、きのうの議会で認められた。
 昨年8月、軟弱地盤の発覚などをうけて、県が埋め立て承認を撤回したのが、今回の訴訟の出発点だ。防衛当局は、県の措置を取り消すよう石井啓一国土交通相に申し立て、認められた。裁判では国交相のこの裁決の当否が争われる。
 残念なのは、有識者でつくる第三者機関・国地方係争処理委員会(富越和厚委員長)が全く機能しなかったことだ。
 裁判に先立つ形で、係争委はこの問題を審査してきた。論点はふたつだった。
 (1)行政不服審査法によれば、国交相に申し立てができるのは国民や企業などの「私人」に限られるが、防衛当局はそれに当たるか(2)防衛当局と同じ政府の一員である国交相に、公平公正な審査が期待できるか。
 これに対し係争委は先月、(1)防衛当局の立場も私人と変わらない(2)行政事務は細分化され、どの機関も適正に仕事をしている。国交相がことさらに判断をゆがめるとはいえない――として政府の行動を追認した。
 とうてい納得できない。
 埋め立ての要件などを定めた公有水面埋立法は、私人と国とを明確に区分し、扱いも別にしている。何より軍事基地を造る目的で埋め立てを許される「私人」などいるはずがない。
 (2)の縦割り行政を称賛するような見解も噴飯ものだ。工事は閣議決定に基づいて行われており、国交相が防衛当局と異なる見解を示すことなど考えられない。理屈をこね、事の本質を見ないまま、常識に反する判断をしたとの批判は免れまい。
 係争委は4年前にも同様の辺野古案件を審査した。最終的に県の訴えを退けたものの、国側の主張にも疑問を呈していた。その後、委員長らが交代したためか、政府による既成事実づくりに屈したのか、国寄りの姿勢を今回鮮明にした。この係争委の判断に対しても、県は提訴を検討しているという。
 政権の強引さは目にあまる。国と自治体の利害がぶつかった場合を想定した解決手段は別に用意されているのに、一般国民の権利を守るためにある行政不服審査請求という裏技を繰り出した。「身内」同士で確実・迅速に処理でき、工事に突き進めると踏んだのは明らかだ。
 地元の民意を無視し、脱法的なやり方を恥じず、係争委もまた期待される使命を果たさないとなれば、地方は国に従属するしかない。ひとり沖縄の問題ではない。地方自治全体をゆるがす事態と考えるべきだ。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14093218.html?iref=comtop_shasetsu_02



<金口木舌>台湾との結び付き(2019/7/12琉球新報)
 国立科学博物館の実験チームが丸木舟で台湾から与那国島に到着した。約3万年前の人々がどのように海を越えたかを探る実験航海だ。航行距離は200キロを超え、45時間をかけて到着した

▼日本列島には朝鮮半島やサハリンから渡ってきた人々とは別に、大陸と地続きだった台湾から渡来した人々がいたと考えられている。しかしどんな舟や航海技術を使ったかは分かっていない
▼今回の実験は当時は存在しなかった地図や時計を持たず、星や太陽の位置で方角を判断して航海した。これまでに草と竹の舟で失敗し、今回が「最後の挑戦」だったという
▼晴れた日には与那国島から台湾の山々が見える。石垣島からの距離は127キロ。台湾からは111キロと近い。黒潮の影響で航海に難しさを伴うものの、沖縄戦直後は密貿易で島が栄えるなど関係は深い
▼昨年の台湾東部地震の際には与那国町の人々が義援金を送った。町は震源に近い花蓮市と1982年に姉妹都市提携を結んでいる。過去には交流促進のため駐在員を花蓮市に派遣したこともあり、現在も結び付きは強い
▼丸木舟の実験は交流の歴史を大きくさかのぼらせる試みだ。与那国島は近年、陸上自衛隊の配備に関連して報じられることが多い。だが人や経済のつながりも安全保障の方策の一つだ。実験を機に、国境を超えた結び付きがさらに深まるといい。
https://ryukyushimpo.jp/column/entry-952284.html



<社説>米軍が立ち入り拒否 基地内の調査権不可欠だ(2019/7/12琉球新報)
 県民の健康や生活の安全を脅かしかねない環境問題ですら調査できない現状は容認できない。速やかに基地内の調査に応じるよう、政府は実効性のある対策を米側に迫るべきだ。

 有機フッ素化合物による水質汚染で沖縄防衛局が嘉手納基地への立ち入り調査を要請したが、米軍は許可せず、防衛局が断念していたことが情報開示請求で明らかになった。県なども立ち入り調査を国へ要請しているが、国でさえこのありさまだ。
 有機フッ素化合物にはいくつか種類がある。PFOS、PFOAなどはその一種だ。水をはじく性質をもたせる撥水(はっすい)剤や、器具のコーティングに使われるフッ素樹脂の製造など幅広く使用されてきた。環境中で分解されにくく、蓄積性がある。
 健康へのリスクが指摘されており、発がん性や発達障がいなどの危険があるとされる。国際条約で製造、使用、輸出入も制限されている。
 県内では地下水や河川への混入が相次いで確認された。これを機に水道水を利用せず、安全な飲料水を市販のペットボトルに求める市民もいる。
 国内で規制基準が定まっていなくても、まさしく県民の安全に関わる問題だ。米軍とのやりとりなども開示請求を待たずに国が自ら公表してしかるべきだ。公務員は「全体の奉仕者」であることを改めて思い起こしてほしい。
 沖縄防衛局は2017、18年度に立ち入り調査を米軍に要請したが、許可されなかった。いちいち米軍に許可を求めなければならないのは日米地位協定が米軍の排他的管理権を規定しているからだ。
 15年9月に発効した環境補足協定も形ばかりだ。締結した際に安倍晋三首相は「事実上の地位協定の改定を行うことができた」と自画自賛した。
 だが防衛局は、この協定に基づいて今回、立ち入り調査の請求をしなかった。立ち入りの要件をクリアするハードルはあまりにも高い。
 環境事故の情報提供が米側から日本側にあったという前提条件に加えて「米軍の運用を妨げないなどと米側が判断した場合に限って」という要件もある。
 請求を認めるかどうかは米側に裁量権があり、要件を満たすのは困難視される。名ばかりの補足協定だったことは明らかだ。日米間では複数の協定がこれまで合意されてきたが、実効性に乏しい。
 水質汚染問題が発覚してから3年が経過した。政府自身が立ち入り調査さえできていない。その政府に県が要請しても進展は見通せまい。
 ドイツは自治体が予告なしに基地へ立ち入る調査権を持つ。日本もこれにならい、主権国として地位協定の抜本改定に臨むべきだ。
 国や県には収集した全情報を県民に開示し問題を共有する姿勢が求められる。汚染源を断つための具体的な対策を構築することこそ急務だ。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-952276.html



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2019年07月11日

PICKUP NEWS

【社説】ウイグル族抑圧 ムチは負の連鎖生む(2019/7/11東京新聞)
 中国のウイグル族騒乱から十年となるが、政府はさらに強権統治を露骨にしている。民族の伝統や文化を重んじない抑圧は、このイスラム系少数民族の心を離反させ、暴動など負の連鎖を招くだけだ。
 二十カ国・地域首脳会議(G20サミット)が開かれていた大阪で六月下旬、ウイグル族やチベット族などの少数民族が、中国の人権侵害に抗議する集会を開いた。
 米国に亡命しているウイグル人の人権活動家、ラビア・カーディル氏も来日し、中国政府が多くのウイグル人を「強制収容所」に入れていると指摘。「世界はなぜ沈黙しているのか」と述べ、国際社会が中国の少数民族弾圧にもっと目を向けるよう訴えた。
 確かに、中国のウイグル族抑圧は目に余る。二〇一七年以降、中国は「再教育センター」と呼ぶ施設を造り、ウイグル族など延べ百十万人を収容しているという。
 国際社会の批判に対し、中国政府は当初「完全な虚偽」と反論し、施設の存在すら否定していた。一八年秋に一転、「テロと戦い過激主義を防ぐ措置」として「センター」での「中国語、法律、職業、思想」教育などを認めた。
 ・・・ 本紙の取材に、ウイグル族の男性は「施設では満足に食事も与えられないなど、非人道的な扱いを受けた」という同胞の体験を語った。中国は「再教育」をうたうが、その実態は分離独立運動やテロを警戒しての強制収容所に近いのではないか。
 中国が、特にウイグル族への抑圧を強めたきっかけは〇九年七月に新疆ウイグル自治区のウルムチで、漢族への反発をきっかけに起こった騒乱だった。中国は死者百九十七人と公表したが、ウイグル族側は死者三千人以上と主張し、真相は明らかではない。
 同自治区は石油、天然ガス、石炭の埋蔵量が中国全土の三割を占める資源の宝庫で、近年は習近平国家主席が主導する政策である「一帯一路」構想の拠点として重要性を増している。
 これまで、中国は財政支援と厳格管理という「アメとムチ」で新疆の安定化を図ってきた。
 最近は民族固有の伝統文化を軽視し、漢族に同化させようとする「ムチ」ばかりが目につく。名ばかりの「自治区」ならば、「反中」の機運は消えまい。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019071102000152.html



(社説)ゲノム編集食品 「選べる」ことが必要だ(2019/7/11朝日新聞)
 これでは消費者の利益よりも、役所の都合を優先させているとしか思えない。
 肉厚のマダイや栄養成分を強化したトマトなど、ゲノム編集技術を使って遺伝子を操作した食品について、改変した旨の表示を見送る方向で検討が進んでいる。消費者庁が先月、「義務化は困難」との見解を示し、近く最終決定するという。
 厚生労働省はすでに、別の生物の遺伝子の挿入・残存がなく、現にあるDNAの一部を切断して変異を加えるだけなら、「遺伝子組み換え食品」に該当せず、安全性審査も不要とする方針を決めている。
 そうした変異は自然界や既存の品種改良でも起きており、特に問題になっていないというのが理由だ。この措置に消費者団体などは異議を唱えたうえで、「安全性審査をしないのなら、改変の有無がわかる表示は一層必要だ」と主張してきた。
 人々が安心・安全に暮らせるように、商品やサービスを自主的、合理的に選べる環境を整える。それが消費者庁の任務だ。表示の義務化見送りはこれに反すると言わざるを得ない。
 「ゲノム技術による変異か、そうでない変異かを現在の技術で見きわめることは難しく、表示制度を設けても違反者を特定できない」というのが消費者庁の見解だ。業者の事務負担が重くなり過ぎないように考慮する必要もあるという。
 納得できない言い分だ。
 実効性が確保できないのでルール自体を設けず、業者の任意の取り組みに委ねるという理屈が、社会に受け入れられるとは思えない。また業者にとって、自らの商品に関する情報を把握し、消費者に正確に伝えるのは当然の務めではないか。
 こんな発想がどうして出てくるのだろう。昨年6月に閣議決定された「統合イノベーション戦略」は、ゲノム編集食品を早く社会に出すよう関係省庁に求めている。その達成が至上命令になってはいないか。
 ゲノム編集技術は発展途上にあり、輸入品を含めてどんな食品が現れるか予想がつかない。EU司法裁判所が昨年夏、ゲノム編集食品も遺伝子組み換え食品にあたるという、厚労省とは異なる判断を示すなど、国際的な動向も一様ではない。
 ゲノム編集をめぐっては、国民の間に漠とした不安があることを示す東大チームの調査結果もある。本来は国が率先して調べ、誤解や偏見があれば丁寧な対話を通じて解消に努めるべきなのに、そうした動きは鈍い。
 良い商品を開発しても、社会に受け入れられなければ意味はない。消費者の視点に立って議論を進めることが不可欠だ。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14091541.html?iref=comtop_shasetsu_02



(声)ハンセン病、心にしこり今も(2019/7/9朝日新聞) 主婦 山本ひろ子(神奈川県 70)
 6月28日、熊本地裁は、国のハンセン病患者隔離政策が家族への差別被害を生じさせたと認め、国に賠償を命じる判決を言い渡した。

 私の育った大分県の実家近くに、ハンセン病にかかった母親が隔離され、その後おばに育てられている姉妹がいた。その家はちょうど小学校への通学路の途中にあった。村の人たち皆が、その家族に対してよそよそしかったと記憶している。

 上京した私が帰省する度、姉妹の家の前を通るといつしか空き家になり、その後、更地になった。

 小学校時代を過ごした1960年代、ハンセン病については、誰も正確に教えてくれなかった。たとえ聞いたとしても、大人たちは知識が乏しかっただろうし、国の政策に忠実にならうだけだったのであろう。

 姉妹の家が更地になって長い年月が経ったことを考えると、偏見差別によりどこかへ行かざるを得なかったのだろうと思う。96年らい予防法が廃止され、2001年に元患者に対して、国の隔離政策の違憲性を認める判決が出た。私は60年間心にしこりのようなものを感じてきたが、姉妹がどこかで心穏やかな日々を過ごしていることを願ってやまない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14088255.html?ref=pcviewpage



(声)高齢障害者、参院選投票したい(2019/7/9朝日新聞) 主婦 松本基子(神奈川県 86)
 参院選投票の案内がきました。坂の多い町で、高齢化が進み、投票したくてもできない人が大変多くなっています。私の居住区でも、手狭になったという理由で投票所が、丘の上に移転しました。とても行けないので、選挙管理委員会に相談しました。期日前投票の場所を案内されましたが、それも遠方です。

 私たち夫婦はともに身体障害者1級です。障害者対象の不在者投票制度を利用しようと、「郵便等投票証明書を送って下さい」とお願いをしました。しかし、代理人でもよいので、来所しなければ交付できないと言われました。老夫婦2人住まいで、取りに行けるのならば期日前投票をします。

 そこで提案です。投票所を便利で行きやすいところにしたり、投票日にミニバスを巡回し投票所へ送迎したりすれば、棄権を減らせます。また郵便等投票証明書は、障害者手帳で照会するなどして発行できないのでしょうか。

 参院選で投票したいです。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14088256.html?ref=pcviewpage


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2019年07月07日

PICKUP NEWS

日本海の島で「無血革命」があった?佐野史郎さんも興奮(2019/7/7朝日新聞)
 一寸先は闇の幕末維新の動乱期、日本海の島で庶民による「無血革命」があった。今の島根県隠岐の島町にあたる隠岐諸島の「島後(どうご)」。知る人ぞ知るこの「隠岐騒動」にもっと光をあてようと、150周年を機に町の有志が漫画冊子を作った。騒動では松江藩が「悪役」になるが、松江出身のあの俳優も黙っていない。
 隠岐騒動は明治維新直前の1868年3月、島根半島から日本海を67キロ北上した離島の島後で起きた。徳川幕府の天領だった隠岐諸島を預かる松江藩からの「郡代」を島民らが追い出し、「文事」「軍事」「算用(財政)」などの部門を整えて80日間の自治をしたのだ。
 「1871年のパリ・コミューンより早い人民政府」「天皇の名の下に幕藩体制を拒み決起した維新の先駆け」――。歴史通の間では様々に語られる。
 隠岐の島町の人々が今回作った8ページの漫画のタイトルは「優しい革命 隠岐騒動」だ。
 島後に現れた外国船への松江藩士の手ぬるい対応や高い年貢に、島民たちが不満を持つ。自分たちで島を守るため、学問と武術を学ぶ施設を作ろうとしたことが、自治につながった。流血なしに追い出した郡代には、米2俵、酒2斗の餞別(せんべつ)を贈った……。こんなエピソードを描いた。・・・
・・・ 十数年前からは、地元の「ふるさと教育」で扱われるようになった。今回、町の予算で漫画を作るのは、いわば島おこしだ。隠岐騒動を「日本の歴史でとても驚くべきこと」(漫画)としてより易しく伝え、少子高齢化が進む島で子どもたちの愛郷心を育てると同時に、観光にも役立てる狙いがある。
 漫画は「彼らのあつい志と団結力、人を思いやる心は今も隠岐の人々に受け継がれている」と結ばれる。町によると、今月中に5千部を町内の小中学校や観光施設に置き、役場のホームページからもダウンロードできるようにする。・・・
https://digital.asahi.com/articles/ASM6T54WCM6TUTFK01D.html?iref=comtop_list_gold_n04



(声)サウジ記者殺害、日本は不問か(2019/7/7朝日新聞) 医師 本田徹(東京都 72)
 主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が終了した。驚いたのは、サウジアラビアのムハンマド皇太子が、米トランプ大統領と安倍晋三首相の2人に挟まれて満面の笑みを浮かべて写真におさまり、安倍首相が皇太子との会談に応じていたことだ。

 サウジ政府を批判していたサウジ人記者のカショギ氏が昨年、トルコのサウジ総領事館内で殺害され、真相は今も闇に包まれている。サウジ政府からは納得のいく説明がなく、遺体の行方も判明せず、裁判についての情報も伝わってこない。

 サミット直前、国連の特別報告者は、事件とムハンマド皇太子の関連をさらに調べる必要性を示す「信じるに足る」証拠があるとした。

 しかし米国はもちろん、日本政府もまた、皇太子の嫌疑を不問に付す態度に見える。いくら次のG20サミットがサウジで開かれるとしても、日本政府は、代わりの出席者を要求するくらいの、毅然(きぜん)とした胆力を示せなかったのだろうか。

 サウジアラビアが石油資源大国であることや、地政学的な重要性は分かるとしても、外交の範を世界に示せない政府に、失望を禁じ得ない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14085735.html?ref=pcviewpage



(声)イージス配備にまで交付金?(2019/7/7朝日新聞) 介護福祉士 藤井三枝子(山口県 70)
 ホラ出た!! たぶんこの方向になるだろうと思った。陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備先を対象に検討されていると報じられた交付金のことだ。

 沖縄で米軍普天間飛行場の辺野古移設への協力を前提にしたもの。原発立地自治体を対象にしたもの。交付金というアメでどれだけの人々を分断してきたか。またこんな手を、と私は怒りを禁じ得ない。

 イージス・アショア配備は周辺住民の不安が強く、納得する説明もなされていない。「日本を守るため」という名目だが、防衛省が地元に示した資料ででたらめが露呈した。本当に必要なものなら、そんないい加減さが許されるわけがないだろう。

 米戦略国際問題研究所の論文には「太平洋の盾、巨大なイージス駆逐艦としての日本」と題し、米東海岸などを防護できると書いてある。一体どっちを守るため? 日本が次々に買い続ける戦闘機も、交付金も、原資は私たちの税金だ。

 社会保障がどんどん改悪され格差は広がり、老後の不安も更に大きくなった。このよどんだ空気を一掃させるためにも、参院選挙を待ちわびてきた。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14085734.html?ref=pcviewpage



【社会】3.11被災 固定資産税の減額終了へ 原発避難者、税6倍にも(2019/7/7東京新聞)
 東日本大震災や東京電力福島第一原発事故で住宅を解体した後の更地について、二〇二二年度から固定資産税が大幅に増額される。住宅の立つ土地並みに減額する特例が二一年度末で終わるためで、額は六倍程度まで上がる恐れがある。とりわけ原発事故で避難し、帰還できないでいる福島県の被災者は、避難生活での収入減に税の増額が重なり、影響は大きい。しかし、国はどの程度の人が減額を受けているか把握しておらず、特例の延長も議論していない。 
 固定資産税は地方税で、地価公示価格などを踏まえた「評価額」に税率を掛けて算出する。その土地に住宅が立っていれば税を減額する特例があり、最も優遇された場合、額は六分の一になる。
 震災後、被災者の負担を軽くするため、傷んだ住宅を解体した更地は「住宅あり」と見なす規定ができた。原発事故で人が住まなくなった住宅を解体した場合にも適用される。この規定は「一二年度から二一年度まで」と地方税法の付則にあり、延長がなければ二二年度から税額が変わる。
 影響は、住民の帰還が進まない原発事故の被災地で深刻になる。
 福島県浪江町では、全町民二万一千人に避難指示が出て、その後約一万五千人が住んでいた地域では解除された。避難指示が出ている間は全額、解除から三年間は半額という別の減免制度もあるが、それが終わると跳ね上がった税がそのまま負担になる。
・・・ 町民からは不満の声が上がる。塾経営、堀川文夫さん(65)は当面、避難先の静岡県富士市で買った家で暮らす。浪江町の自宅は動物に荒らされたため、解体して更地のままにする。「故郷の自宅が傷んだのは避難のせい、東電のせいなのに納得がいかない」と語る。
 しかし、地方税法を所管する総務省は「現状で規定を延長する議論はない」と説明。固定資産税は各自治体で税額を決め、徴収しているため、どの自治体が特例で減額しているか把握していないという。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201907/CK2019070702000157.html



(声)七夕 夫の記憶に刻まれた、笹の小枝(2019/7/6朝日新聞) 無職 高尾みさよ(愛知県 91)
 七夕が近づくと、亡き夫から聞いた話を思い出す。

 夫は尋常小学校4年の時、先生から「明日は七夕だから、笹(ささ)の小枝を持ってくるように」と言われた。学校で「母さんが元気でいられますように」と願い事を書き、笹を肩に担いで家に帰ると、母親が険しい顔で隣のおばさんと話していたという。

 早く見てもらおうと、持って帰ってきた笹の小枝を見せたが、母親は少し脇にそらし、おばさんと話し続けた。聞こえてきたのは、「どうも戦争が始まったらしい。若い人が戦争にとられると、百姓してもらう人もないようになるな」という嘆きの言葉だったという。

 1937年7月7日、盧溝橋事件が起きた。大好きだった母のつらそうな顔と、泥沼の日中戦争に突入していった日が重なり、夫の胸に深く刻まれる記憶になったようだ。

 夫は戦後、小学校の教員となり、後に中学校でも教えたが、七夕が近づくと子どもたちに、この話を繰り返した。

 夫は亡くなるまで、笹の小枝の話を忘れなかった。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14084290.html?ref=pcviewpage


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